教会FAQ
罪を犯したことがないのに、なぜキリスト教では人間を罪びとというのですか。

日本において、一般的な言葉でいう罪は法律との関係で定義することが多いのでこのような疑問が出てくるのではと思います。一方、法律違反ではないが道徳的な罪、たとえば不倫や心の中にある猜疑心、怨念、復讐心、物欲あるいは偶像崇拝などは神様から見れば明らかな罪に違いありません。 このように考えると人間は程度の差こそあれ、罪を犯さない、あるいは犯さなかった人は一人もいません。神様に良しとされるためには、罪を告白し、悔い改めることが必要です。神様にいつも良しとされていれば心は平安を保つことができ、聖書のみ言葉を心より受けとめることができ、み教えが心のすみずみまで浸透して内からの喜びが泉のごとく湧き上がり、生き生きとした毎日を送ることができるのではないでしょうか。

なお、英語では、明確な概念区分があり、法律的な罪をcrime(クライム)、宗教的あるいは道徳的、規範的な罪をsin(シン)と呼んでいます。
                                                                                                  
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