教会FAQ
クリスチャンにとって罪の赦しとは何ですか。

キリスト信仰にとってもっとも大切なこと。それはキリストにある愛と赦しです。

神は大いなる愛の故に人間の罪に赦しを与えるため、罪なき御子イェス・キリストを、贖いの十字架に掛けられました。この大いなる神の愛と憐みをクリスチャンは信仰の礎とし、日々祈りの中に銘記し、吟味し、感謝し、励ましと希望を得て、日々の生活に実践しなければなりません。

したがってクリスチャンにとって、この赦しを取り除けば塩味を失った塩となってしまいます。

「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」マルコによる福音書9章50節

マタイによる福音書18章21・22節には

「 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」

ここに教えの真髄が示されています。私たちにとって人を許すことは、とても難しく、困難極まりないこと があります。しかし、そのままでは私たち自身の罪も赦されません。人を赦すことにより、神が私たちの罪をも赦してくださいます。ちなみに聖書では「赦す」という言葉が旧約聖書では14回、新約聖書では実に30回も出現します。

最近、神戸におけるユニセフのつどいで部族間の対立により肉親を殺されたウガンダのクリスチャンが、現実を直視しつつも祈り続けた結果、恩讐を越えてこの赦しに到達した、とう感動的な話がありました。私たちも日々このような真の信仰に到達できるよう祈り求めたいものです。

 「わたしたちの負い目を赦してください、
    わたしたちも自分に負い目のある人を
       赦しましたように。」 マタイによる福音書6章12節(主の祈りの1節)
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