新共同訳聖書の中に出てくる「洗礼」という言葉のルビが「センレイ」ではなくて「バプテスマ」となっているのはなぜですか。
とても重要な意味があります。
もともと「洗礼」と翻訳されたギリシャ語は
(バプティスマ)(英語ではimmersion)で、これは浸礼、つまり体全部を水につける洗礼を意味する言葉なのですが、他の教派では滴礼と言って頭または額に数滴の水を滴らせ、象徴的にこれを行うところがあります。西神戸教会もそうです。
ところがバプティスト教派では、文字通り全身を水の中に沈めてこそ、「洗礼」の本来の意味があり、これによらなければならない、としています。
そこでカトリックとプロテスタント諸派による新共同訳聖書においては、原語からの翻訳語は「洗礼」とはするものの、読みを「バプテスマ」とすることにより、その意味合いを持たせることとしたものです。
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