教会FAQ
旧約聖書と新約聖書の期間は「中間時代」と言われていますが、どのような時代だったのでしょうか。

旧約聖書が最後に書かれ、預言が途絶えてから新約聖書が書かれるまでの約400年は「中間時代」あるいは「沈黙の時代」と言われています。しかしこの間は沈黙時代とはほど遠く、多くの出来事が起こった激動の時代でした。この期間を学び、時代背景を知ることは、聖書を学ぶ上でとても大切です。

イスラエル国家は新バビロニア帝国により征服され滅亡。ペルシャ帝国が起こり、バビロンの捕囚が帰還、第二神殿が完成し、紀元前330年頃にはマケドニアのアレクサンダー大王により、ペルシャ帝国が滅亡。アレキサンダー大王によってイスラエルを含め、地中海諸国はギリシヤに征服されるなど時代は転変し、アレクサンダー大王の教育政策とも相まって、ギリシャ語が遍く共通語とされ、ギリシャ文化とペルシャ文化の融合が進むヘレニズムの世界が展開していました。そして紀元前200年頃にはローマ帝国が地中海周辺国を制覇。ユダヤはローマ帝国の属州となり、紀元26年にはピラトがユダヤの総督となり支配が長期間にわたり続き、ユダヤの民は長い間、抑圧され、結果、彼らは切に救世主を待ち望み続けていたのです。そして、まさにそのようなときにイエスが世にこられました。そしてイエスの教え、信仰はやがては「すべての道はローマに通じる」とのたとえの通り、ローマ帝国により整然と整備された道路網、パクス・ロマーナ(PAX ROMANA-ローマの平和)と呼ばれる相当期間にわたるローマによる安定した支配下、ヘレニズム世界の共通語、国際語であったギリシャ語を通じて、パウロやその他の使徒、先達により遍く宣べ伝えられていったのです。

聖書についてですが、ユダヤ教の聖典であった旧約聖書は主として、ヘブライ語で記されましたが、当時、イスラエルではアラム語が話され、共通語としてはギリシャ語が使用されていましたので、新約聖書はヘブル語ではなく、ギリシャ語で記され、ヘレニズムの世界に広がってゆきました。そして、旧約聖書については、記されたヘブル語が読めない人々が大半となったため、当時、学問の中心地であったアレキサンドリアで七十二人の学者により、紀元前250年から前100年の間に旧約聖書がギリシャ語に翻訳されました。いわゆる七十人訳聖書(Septuagint --セプトゥアジント)の誕生です。聖書名であるセプトゥアジンタという言葉は数字で70を意味します。新約聖書の中の旧約引用はこの訳を用いることが多く、またパウロを始め当時の使徒たちが用いていた旧約聖書は専らギリシア語訳の聖書であったため、神学的にも重要な聖書と位置づけられています。

最後に、この期間を「中間時代」ではなく、「第二神殿期」と呼ぶのが適切であるとの学説があるようです。詳細は以下サイトにありますので、アクセスしてみてください。

「新約聖書時代のユダヤ教世界」伊藤明生東京基督教大学教授

参照文献:○「中間時代」
       ○「早わかり聖書ガイドブック」CS成長センター
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