![]() ![]() ![]() ![]() ![]() (特別寄稿) 鍋谷堯爾 [KBH理事] 神戸開港とともに、旧生田川と宇治川の間に外国人のための居留地が設けられた。キリシタン禁制の高札が撤去されたのは1873(明治6)年である。その3年前の明治3年に、D.C.グリーン[1843-1913]が来神し、礼拝を行なった。カトリックの神父ムニクーも神戸初の教会を設立した。1874(明治7)年に摂津第一公会[現日本基督教団神戸教会]が創立され、グリーンから松山高吉ら11人が洗礼を受けた。 1886[明治19]年には、南メソジスト監督教会のランバス親子が来神。パルモア学院、啓明女学院、関西学院を開校。現在、阪神間には14のキリスト教主義の学校がある。2001年の神戸聖書展では学校、YMCAなどが協力し、阪神淡路大震災後に教団、教派の壁を乗り越えて、協力しあい、2万人以上の動員に寄与した。 1909[明治42]年に日本最大のスラム街であった新川で活動を始めた賀川豊彦の働きが、日本全体に今も大きな影響を及ぼしている。 1904[明治37年に、京町24番地で日本聖書協会の西日本の聖書事業を開始。1907年に江戸町95番地の500坪の土地に神戸バイブル・ハウスを建造。コルポーター(聖書販売頒布人)たちが、西日本だけでなく、アジア各地に聖書を届けた。33年の活動を戦争の暗雲の中で閉鎖を余儀なくされ、1941年にいったん日本聖書協会に吸収された。 神戸聖書展が成功裡に終わった後の2003年、新しくエキュメニカルな運動推進の担い手として復活。日本で初めて継続的な働きを進めている。阪神間のキリスト教は、賀川豊彦はじめユニークな人材を輩出した。十字架委員長と称された川上丈太郎、伝道者本田弘慈、ネパールの医療宣教師岩村昇、絵画の小磯良平、田中忠雄、遠藤周作など、数え上げればきりがない。 神戸の教会の特徴は、神戸の140年の歴史が示すように、教会も開かれた存在ということだろう。教会は、町そのものに開かれている。教会の関連事業、特にキリスト教主義の学校の存在は、教会やキリスト者人口の割合の何十倍もの影響を及ぼしている。またこのような特徴は、教派間の伝統や歴史的経緯を越えてお互いの協力関係を密にしている。YMCA、YWCA、各神学校、神戸バイブル・ハウスなどの活動は今後日本全体の教会に良いモデルを示すものと期待されている、 (抜粋、改編、出版委員会) ![]() |
(サイト管理人より) 本稿は神戸のキリスト教史に関し、簡潔にして要を得たすばらしいエッセイであり、私自身、何度も熟読させていただきましたが、ご訪問の皆様にぜひともご紹介申し上げたく、神戸バイブル・ハウス様のご承諾を得てここに掲載させていただくことと致しました。 |