日本基督教団 西神戸教会月報
2009年1月号

                   
      「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
           二人はすぐに網を捨てて従った。
                                                           《マタイによる福音書4章19〜20節》           

 私たちは今、2008年という年を歩み終え、新しい2009年の歩みを始めています。その日々、神様から様々なことを与えられ歩んでいます。与えられている事柄の中で神様を見いだすことが出来る時、新しい命を受けることが出来ます。この世において幸せと思えない事の中で、神様の用意してくださっている幸いを知ることができます。 2008年は皆さんにとってどんな年だったのでしょうか。色々なことを経験しつつ、今ここにいて歩めることの幸いを感じています。命は、様々な可能性を持って私たちに与えられています。そのことを大切に新しい一年も歩みたいと願っていよす。

 イエスは、馬小屋の飼い葉桶での誕生の後、ナザレで過ごしました。それは、イエスの命を狙うヘロデから逃れるためでありました。神様から与えられた命は、母マリヤと父ヨセフによって大切に守られ育てられました。当然その背後には、神様の守りがありました。その後イエスは、額に汗しながら大工の仕事をなし、家族の生活を支えていました。目の前に与えられた事柄をしっかり受け止め、自分のなすべき事をなして歩みました。そして、この世に登場するときを逃さず、先駆者ヨハネのもとを訪れて洗礼を受けました。そのときヨハネは、イエスに対して「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたがわたしのところへ来られたのですか」と言いました。ヨハネに対してイエスは、「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」と答えるのです。神様から与えられた計画に従い歩むことは、誰も止めることは出来ないのです。イエスは、世の人々の中に生き、世の人々と等しく歩まれたのです。罪はなくても、他の人々が受けるべき洗礼を受けることによって、そのことの大切さを身をもって示されたのです。その時、天より「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が聞こえたのです。イエスは、人に生きるべき道を示し続けてくれているのです。その言葉と行いの中に神様を見い出すことが出来る時、主に従うことが出来るのです。何事も恐れず、主を信じて歩み行くのです。

 最初の弟子たちは、綱を捨ててイエスに従いました。生活の糧を得るためになしてきた漁師の仕事に、なくてはならない大切なものを捨て去って主に従ったのです。そこには何の保証もありません。ただ信じること以外に従う道はないのです。イエスの語りかけた「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」を信じるのです。

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