日本基督教団 西神戸教会月報
2009年2月号

                   
*イェスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」

*イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。

                          《マタイによる福音書14章22〜33節》           

  時の流れの速さを実感する日々を送っています。2009年になってもう2月の半ぱを迎えています。時は待ってくれません。刻々と過ぎ行く日々の中でどれ程の喜びを感じて過ごして居るのでしょうか。いつの間にか何の生きがいも喜びもなく、ただ生きているだけになってはいないでしょうか。たった一度の人生を大切に豊かに歩んでいきたいものです。何もしなくても時は過ぎていきます。人に必要とされ、神様に必要とされ、自分の与えられた賜物を神様と人に差し出し、用いて行くことによって、私たちは豊かさを感じることが出未るのです。自分が主になってしまって、与えられている物を無駄遣いして意味のないものにしてはいないでしょうか。 .何のために"今" "ここに" 生かされているのかを神様からしっかりと示され、自分の思いや意志ではなく、神様によって歩むことの大切さに気づくことが大事なのです。

 私(牧師)も2000年8月に西神戸教会に来て、もう8年7カ月になりました。 色んな事がありました。嬉しいこと・楽しいこと・驚くべきこと等のたくさんの喜びが与えられました。 それとは反対に苦しいこと・悲しいこと・痛いこともたくさんありました。 今はそれらの嵐のような時を経て、忙しくてもしんどくても生きる喜びを与えられています。 ここでの月日は、良いことも悪いことも人と共に生きることによってもたらされてきたものです。 自分の弱さや欠けや無力さを突き付けられながらもそれを共に補い歩んでくれる多くの人々に出会い、恵みに満たされて歩むことが出来ました。 神様が共にいて、全てのことをもたらしてくださっていると信じることの出来るものとなりました。人の世は悲しいかな人の片寄った見方や考え方、思いや感情によって、左右されてしまいます。 牧師になって23年余り、神様はいたらぬ私を見捨てずに今までの働きを与えてくれていることを心より感謝しています。 だから、私を必要とされる限り、その歩みを止める事なく、神様の示されることを受け取り歩みたいと思います。

 イエスは、恐れる弟子たちに「安心しなさい。わたしだ。 恐れることはない。」と語られ、信じることができず溺れかけたペトロに手を差し出して「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と語りかけられるのです。 私たちも主から目を離し、心を閉ざす時、嵐の様な人生を乗り越えられずに沈んで行くのです。しかし、主はすぐに様々な助けを与えてくださるのです。 神様と人と豊かに交わり喜び楽しむ人生を歩みましょう。
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