日本基督教団 西神戸教会月報
2009年4月号

                   
 ☆こうして、イエスについて書かれていることがすべて実現した後、人々はイエスを木から降ろし、墓に葬りました。
  
                             《使徒言行録13章29節》 

 うれしい春を迎え、2009年度になりました。2008年度も神様の守りの中、豊かに歩み、今のときを迎えています。 春のこの時、命が与えられている素晴らしさを実感することができます。 桜ももう散り始めていますが、僅かなほんの一時の命を花咲かせるために寒い冬を過ごしてきました。人は桜の花を見て喜び、心躍らせて春の一時を満喫しています。その美しさを表すまで、桜の木は、何もない枯れたような裸の木として立ち続けています。 その木に少しずつ小さな蕾がつき、だんだん増えて大きくなり、少しずつ咲き始めます。そして "あっ"と言う間に見事な美しさを見せてくれるのです。 命の営みの素晴らしさを感じます。神様は、私たち人間を桜の花以上に素晴らしい存在として、この世に命を与えていてくださっています。その命を守るために大切な独り子を犠牲にされたのです。それも神様の言うことも聞かず、好き勝手に生きている人をも愛して、許してくださったのです。

 教会では、命の目覚めるうれしい春にイースター(復活日)を迎えます。イエス・キリストが、自らの命を投げ出し十字架に掛かってくださった後、復活の命を神様が与えてくださった嬉しい日です。この日、子どもたちにとってイースターの楽しみの一つは、イースターエッグをもらうことです。これは、卵から新しい命が与えられることと合わせて、イースターのシンポルとなっています。 この喜びに出合うためには、イエスが十字架に掛かって死ぬという大きな出来事が必要だったのです。 これは全て神様が定めたことでありました。聖霊が語っています。 「イエスについて書かれていることがすべて実現した」と。 イエス・キリストがこの世に遣わされて生き歩み、十字架に付けられて死んでよみがえられるということすべてが神様の御心だったのです。 しかも人々が悪意を持ってイエスを十字架に付けようとしたことも含めて、全てが神様の語られたとおりになったのです。人の悪巧みをも用いられて、神様の栄光を表されるのです。神様の前に私たちは何も隠し立てすることはできません。 全てが知られており、それをも含めて神様の業はなされてゆくのです。 私たちは、神様の与えてくださる愛と恵みとを受け取り、感謝して目の前の現実に出会うとき、恐れずに開かれている豊かな道を歩んでゆけるのです。 この世を生きる時、思わぬことに出会います。でも大丈夫です。 私たちが怯え、閉じこもってしまっている時にも、共に歩んでくださる主は、"安心しなさい。" "恐れることはない。"と語りかけ続けてくださるのです。
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