日本基督教団 西神戸教会月報
2009年5月号
イエスは、弟子たちにどう祈ったら良いのかを教えてくださいました。 人に見てもらう様な祈り方やくどくど祈ることは、必要ないとはっきりと語られています。 私たちの祈りは、どうでしょうか。 必要以上の事を望み、くどくどと祈ってはいないでしょうか。 神様は、私たちの必要なものをご存じなので大切なことだけ祈ればいいのです。 イエスは、弟子たちに大切な祈りとして、主の祈りを教えてくださったのです。 それは、私たちが向く方向や私たちの心のあり方を教えてくれるものです。 私たちにはどうすることもできないような事を祈らせてくれるのです。 神様のなされる業に心を向けるように祈らせてくださるのです。 この祈りは、あれが欲しい、これが欲しい。 こうして欲しい、あのようになりたい、等の人のちっぽけな願望や欲望ではありません。 人は、自分の幸せを狭い世界で考え過ぎて、自らを不幸にしてしまっているのです。 神様には、全てご存じであることを前提に祈らなくてはなりません。 全てご存じですから、神様が私たちになしてくださる事を受け入れ、信じて歩むことが大切です。 祈ることは、行動も伴います。 祈る限りは、私たちも祈りにふさわしく、神様に応答して行かなくては、神様のなされることを受け取ることはできません。 神様に心を向けて、自らを神様に明け渡し、謙虚に全てを受け入れていかなくては祈りは生きてきません。 主イエスは、十字架を前にしたゲヅセマネで 「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」 と祈りましたが、その思いを打ち消すように続けて 「しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」 と祈ったのです。 私たちも自らの思いを打ち明けて、神様の前に全てをさらけ出し、心を裸かにして祈ることが大切です。 しかし、あくまでも 「わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」 という祈りであることが大切なのです。 祈りとは、神様との交わりです。 心を開き、神様と人格的な交わりを持つことによって、神様から与えられている様々なものを見出し、感謝へと導かれていきます。 祈りは、神様の意志を曲げて私たちの願いを通そうとするものではありません。 常に私たちの意志を神様の意思に合わせていくことで、祈りが私たちの歩みの中で生かされていくのです。 私たちの過去・現在・未来の全ては、神様の御心によるものであることを知る時、神様に全てを委ねて今を大切に生きる者となるのです。 神様と私という関係をしっかりと築き、神様に愛されていることを受け止めて、喜びと希望に満ちて歩みましょう。 |
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