日本基督教団 西神戸教会月報
2009年6月号

                   
  あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。

                             《マタイによる福音書5章13〜16節》 

 今、命が与えられていることを喜ぷ事ができているでしょうか。私たちが生かされている世界は、私たちの思うように行くことばかりではありません。そんな現実と出会う時、私たちは生きる力を失ってしまいます。神様に愛され、大切にされ、貴い命が与えられているはずなのに…。生きると言うことが苦しいこともあります。悲しいこともあります。でも、嬉しいことも喜びもあります。そんな命を神様は、私たちに与えていてくださっているのです。天地創造の時に「神は御自分にかたどって人を創造された。」(創世記1章27節) そして、「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」(創世記2章18節)と言って人を創造し、命を吹き入れられました。私たちが生きるということは、神様の大きな意志が働いているのです。それは何でしょう。それぞれが違いを有しながら、助け合い生きるということではないでしょうか。その違いを認めることができなかったり、排除しようとする社会の歩み中で、私たちの果たし得る役割は大きいのです。自分が自分として、神様の思いに従って生きるということです。様々な価値観に振り回されて、自分を失い、生命を失っているのではないでしょうか。それだけでなく、人の生命や生活さえも奪うのです。

 私たちの生かされている世界を嘆くことは簡単です。でも、嘆くことが多ければ多いほど、私たちの為すべき役割が大きいのです。主イエスは、「あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である。」と語られました。それは、この世において神様の思いを伝える大切な役割を持っていることを示します。この世が何と言おうと恐れずに、神様を信じて歩んで行くことが大切なのです。この世に命を与えられ、生きる者とされた事は、塩味を発揮し、暗闇を照らす光としてなのです。その歩みの中で、神様の用意してくださっている恵みに満たされる喜びに出会うのです。与えられている塩味を無駄にする事なく歩まなければ、神様からの生命を失うのです。そして与えられた光を輝かせなくては、存在の意味を失ってしまうのです。神様から与えられているたった一つの命、一度の人生を本当の喜びに満たされて歩みたいものです。

 主イエスは敢えて、自らが世に遣わされた理由を「平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」と語りました。神様は人を愛するがゆえに、乱れた世に真の平和を与えるために全ての間違った価値観をぶち壊し、何が大切で大事にしなくてはいけないかを示すために来られたのです。それを受け入れられなかった人々がイエスを十字架に掛けたのです。私たちは、大切な命を与えられています。そのことに感謝し、その命が一番輝く生き方をして生きたいものです。

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