日本基督教団 西神戸教会月報
2009年10月号
わたしたちの日々の歩みは、決して当たり前のことではないのです。神様から与えられている日々を過ごしているうちに、いつの間にか様々な物や事柄が与えられているのが当たり前になってはいないでしょうか。神様から与えられている物事を一つひとつ大切に受け止めていく時、どれほど多くの愛が神様から注がれているのか、に気づくことができるのではないでしょうか。当たり前ではなく、ありがたい日々をわたしたちは与えられているのではないでしょうか。「ありがたい」を「有り難い」こととして強調する人がいます。どんな歩みの中にあっても、そこに大切な意味がいつも与えられているのです。この世の生活に埋没してしまう時、その大切なものが分からなくなってしまいます。また、この世の価値観に振り回されてしまうと、要らぬものを求め、必要以上に欲張り、安心感を得ようと必死になり、失うことや失敗することを恐れて、大切にすべき今を台なしにしてしまうのです。生きるうえで大切なものを受け取り損ねて、右往左往してしまっていることが多くあります。何を求め、何により生きるかで当然、それぞれの歩みは変わってきます。そして、その人の生きる周りの環境も変わってくるのです。日々の歩みがいかに大切であるのかを痛感します。 聖書は「目を覚ましていなさい。」と語ります。神様によって生きる者とされたことに目覚めて、歩み直して行くことが大切なのです。今の自分の存在根拠をどこに置くのか。そのことをしっかりと受け止めて、歩んで行く時に神様の恵みに出会うことができるのです。当たり前の命ではなく、ありがたい命の存在を知るのです。それを知った時、日々を大切に歩む者とされるのです。与えられる一日一日が、とても豊かで幸いなものとなるのです。神様の前でわたしたちは、見せかけの歩みはできないのです。神様は、全てをご存じであり、急に取り繕っても駄目なのです。この世は、見せかけや表面的なごまかしが通用することがあります。しかし、神様には全く通用しません。「その日、その時」は、神様だけが知っているのです。わたしたちは、知ることができない者として、「その日、その時」がいつ来ても良いように歩んで行くことが大切なのです。今わたしたちの周りでは、突然の自然災害(水害・地震等)のために多くの人々が悲しみ・苦しみの中にいます。いつ何が起こるかは、誰にもわかりません。その与えられた状況を受け止め、その中で歩みを見い出して行かなくてはならないのです。神様がいつも共にいてくださり、命ある歩みが守られる事を信じ、希望の中を生きることが出来れば幸いです。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |