日本基督教団 西神戸教会月報
2010年3月号
私たちは今、受難節の時を歩んでいます。 イエス・キリストが十字架の死を通して人間の罪を許し、復活の出来事によって、愛により生きる新しい命をもたらしてくださった事に心を寄せて、与えられた日々を歩んでいきましょう。 イエスは、自らを慕い、共に歩んできた弟子たちに対して、今から向かうべき道を語られました。それは、十字架と復活を示すものでした。 今までも2度語ってきたことですが、残念ながら正しく受けとめられている弟子はいませんでした。3度目のこの時も、イエスが語られた苦しみを受けることを理解していませんでした。 弟子たちの中でもヤコブとヨハネは、この非常時に自分たちのことしか考えていませんでした。自分たちだけが、栄光を受けたイエスと並ぶ者となることを願いました。 今からイエスが向かおうとする苦しみと悲しみと痛みを理解する事なく、ただ自分たちのことだけを考えているのです。 イエスの栄光とは、十字架の死と復活でありました。もし、本当にその栄光を受けようとする者は、すべての僕となることが求められるのです。彼らの願いや求めは、この世的な価値観に縛られた栄華でありました。 地位や名誉や財産的なものです。そんな求めをイエスは「あなたがたは、自分が何を願っているか分かっていない。」と否定します。 しかしこの求めは、彼ら2人だけではなく他の弟子も少なからず願っていることでした。 だから、抜け駆けをするような2人の言葉を聞いて、みんな腹を立てたのです。 そんな弟子たちにイエスは「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。」と語ります。 私たちの心の中にある価値観を全く反転させる言葉です。 私たちの求めていること、願っていることに対してのイエスからの言葉でもあるのです。 そのことを忘れず、与えられていることに向き合い、大切にすべきことを見いだし、本来あるべき姿に立ち返り歩めたら幸いです。 2009年度の教会の歩みも終わりの時を迎えています。 一年を振り返える時、この世の価値観に振り回されて、神の望んでおられる事とは異なった事を求め、必要のないものに縛られて歩んでいたのではないかと思います。 今、与えられた場所(地域)で、与えられた環境(幼稚園・シオン館・施設等)の中ですべきことが沢山あります。その大切にすべきものを忘れる事なく、他者と繋がっていくことが求められています。 教会が様々な枠を越えて交われる、集える所となり、喜びに満ちますことを祈ります。 |
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