日本基督教団 西神戸教会月報
2010年5月号
イエスは、復活の後に弟子たちに現れて自らを示されました。しかし、それはほんの少しの時でした。イエスは、いつまでも地上に留まるのではなく、神様の所、天に帰らなくてはなりませんでした。それが昇天日です。それは、地上の人々を見捨てたのではなく、地に生きる人々が信仰によって自立して生きていくためでありました。神様は、そのための助け手として、聖霊を与えてくださったのです。 イエスは、弟子たちとの別れに際して、多くの言葉を残しています。それが、その時点では分からなくても、後にそのことを経験することで彼らの力となるのです。私達は、言っても分からないし、理解できないと思い、言わないことが多くあります。しかし、言わなくては分からないし、伝わらないのです。私達にとって大切なことは、時を逃さずに語り、行う事ではないでしょうか。 イエスは、神様から与えられる時をしっかりと捉えて、逃さずに歩みました。時には、勇気を必要とし、神様に助けられなくては進んで行けませんでした。その時々に祈り、神様に身を委ねて歩みました。神様は、いつも歩む道を整えてくださり、力を与えてくださるのです。私達は、信仰によって、その道と力を受けることができます。神様は、イエスの昇天後、地の人々には聖霊という助け主を与えてくださったのです。聖霊は、イエスの様には目に見える仔在ではありませんが、いつも私達を励まし、導き歩ませてくれる神様からの賜物なのです。 イエスは、時を知り、弟子のために祈りました。これから起こる出来事の中で弟子たちが、歩み行ける道を祈るのです。共に歩めなくなるイエスが、これから困難な世と向き合って歩まなくてはならない弟子たちのために、祈ってくださったのです。この世の荒波の中に進んでいかなくてはならない彼らのために、「世のためではなく、わたしに与えてくださった人々のためにお願いします。」と祈ってくださるのです。イエスが一緒にいなくなった後、彼らが「水遠の命」を得て、神様に守られて、一つとなって歩んで行けるようにしてくださったのです。神様は、今を生きる私達にも、豊かな聖霊を与え、様々な事柄の中で拓かれた道を示して続けてくださっているのです。 |
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