日本基督教団 西神戸教会月報
2010年9月号

                   
☆すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分の定められている競争を忍耐強く走り抜こうで'はありませんか。                                               (ヘブライ人への手紙12章1節)

☆あなたがたは、これを鍛練として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。〈ヘブライ人への手紙12章7節)

  私達には神様から世を生きる大切な命が与えられています。その命の営みは、豊かなものとして与えられ続けています。その出来事に気づき、日々の歩みを心から感謝して歩んでいるでしょうか。 時として私達は、たった一つしかない、かけがえのない命をおろそかにし、目の前に現れる様々な事や人に惑わされ、与えられた命の大切な役目や役割を見失ってしまう事が多い様に思います。困難や悲しみに押し潰されて、生きる希望を失い、神様から離れて歩んでしまいます。今、与えられている歩みは、自分にしかできないものです。他の誰でも良いというものではなく、その人でなくてはできない歩みとして与えられているのです。そのことを受け止めていく時、神様と出会い、共に生きる道が拓かれてゆくことでしょう。命の源なる神様を信じ、身を委ねて生きる時、多くの事や人と出会う喜びを知ります。命の営みは、神様から私達に委ねられています。だからこそ、与えられる事柄をどのように受け止めるかが大切なこととなってきます。一つの事でも、様々な受け取り方、受け止め方があります。神様から与えられ、許された歩みを存分に輝かすことができれば幸いです。

 今、幼稚園では保育者たちが一学期の反省をし、二学期の歩みを始めています。彼女たちは、非常に前向きでプラス思考です。悪い状況・条件の中にあっても、それを良く働かせるために、それぞれの与えられた状況等をしっかりと受け止め・捉えながら、保育をしています。まさしくキリスト教保育と思える働きをしてくれているのです。雨の日には雨を、風の日には風を、晴れの日には晴れを楽しむことができるのです。子ども達にとって、いつも幼稚園が楽しい・嬉しい所であり続ける努力をしています。しかし、それは頑張るのではなく、楽しむことの様です。そのことが彼女たちの日々をも支えています。神様から与えられているものは、素晴らしいもので満ちています。彼女たちは、そのことを子ども達と共有し、喜びに満たされているのです。何事においても忍耐や努力(頑張り)は必要となります。楽(らく〉して良いことなどあまりありません。それは、沢山の働く良いものを与えられながら、使わずに退化させてしまうことになるからです。様々な経験を通して、私達は豊かにされてゆくのです。その機会を神様は、与えてくださっているのです。神様の愛と守りを信じて、与えられている現実をしっかりと捉えて、より良きものとしてゆきたいものです。それは、私達次第なのです。今、様々な困難や悲しみの中にある人が、神様の豊かな恵みと人の愛と支えによって、歩みゆくことができることを心より祈ります。

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