日本基督教団 西神戸教会月報
2010年12月号

    ☆エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
     その根からひとつの若枝が育ち
     その上に主の霊がとどまる。
                (イザヤ書11章1・2節)


 
クリスマスおめでとうございます。アドヴェントクランツ4本目(最後)のローソクに火が灯りました。この世がクリスマスという雰囲気に浮かれている中、私達は紫の布を講壇に垂らし、罪と悪に満ち暗闇の中を歩み続けていた人の世に、大切な独り子イエスを与えてくださった神様の愛の深さ・大きさ・広さに感謝しつつ、自らを悔い改め過ごす時が与えられました。いつの世も人の思うことや、行うことは、神様の思いや願いとは大きく隔たっています。しかし、神様はそんな人間を愛し続けてくださっています。何と幸いなことでしょう。私達の作り出した闇に光を、絶望に希望を与え続けてくださるのです。信仰は、どんな世にあっても神様が共にいてくださることを信じ続けていくことを可能にしてくれるのです。クリスマスの出来事において、そのことを目に見える形で、私逮に分かるように神様が現してくださったのです。さらに神様の思いをイエスの歩みを通して示し、イエスに心寄せることで、より良く生きる道を開いてくださいました。人(預言者)の言うことに耳を傾けず、滅びに至る人を、神は愛によって救い出してくださったのです。

 預言者イザヤは、望みなき時代に平和の王が与えられることを語りました。その王は、私達の思いとは全く異なるものでした。世が作り上げてきた権威と権力と富に満ちた王とは違う存在です。ここで与えられると約束されている王は、この世の価値から私達を解放するものであり、優しさと愛に満ちた王なのです。切り倒された切り株から、生命の営みが失われ、望みなきように思えるようなところから、神様は新しい芽を生え出でさせて新しい生命の営みを創り出されるのです。さらにその生命に神様の息が吹き込まれるのです。神様は、弱肉強食の世のただ中で、愛によって世を創り直す平和の王を約束されました。弱き者・貧しき者・排除される者が大切にされ、違いや異なりや隔たりを越えて、全ての人が共に生きる存在となる世を創り出す王が与えられるのです。イザヤの語る言葉は、私達が「仕方がない」とあきらめている現実を打ち破る力、越える力を与えてくれます。あきらめや絶望の中にいる人々に希望と生きる力を与えます。イザヤの告げた事が、今クリスマスとして与えられたのです。クリスマスは、「民全体に与えられる大きな喜び」であり、救い主のお生まれになった日なのです。大きな喜びを与えられた私達は、羊飼いや博士たちのように、世の人に伝え続けていくことの責任が委ねられています。愛に欠けた世ヘクリスマスの喜びが広がることを心から願います。クリスマスが全ての人の喜びとなるには、神様が与えてくださった賜物を十分に用いて、世の歩みをなしていくことが必要なのです。与えられた恵みに感謝し、私達の大切なものを心を込めて神様に捧げましょう。
 
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