日本基督教団 西神戸教会月報
2011年1月号

   ☆イスラエルの人々は主の命令によって旅立ち、主の命令によって宿営した。
                                                                  (民数記9章18節)

☆預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ.   (ルカによる福音書4章21節)

 私達は、日々の歩みの中で私達の思いを遥かに越えたものとの出会いが与えられます。その時、その出来事をどのように受け止めるかで、私達の歩みは変わります。神様を知っているか、いないかはそこで大きく影響します。同じ出来事でも受け止め方一つで、私達に与えられた生きる力は変わってくるのです。 私は、昨年末、本当に苦しい・悲しい・心の痛い出来事に出会いました。しかし、その時自らが神様に祈ることにより、また多くの人々に祈っていただく事によって、希望の光を与えられ今日に至っています。神様が共におられ、愛してくださっていることを知ることがいかに大きな生きる力となるかを味わいました。 そして今もなお味わい続けています。

 主イエスは、神様から与えられた役割をこの世で果たすために多くの苦しみを味わいました。そして最後は、十字架につけられてしまうのです。しかし、困難な歩みを負わされているイエスではありましたが、いつも祈ることによってその道を歩み出したのです。自分の思いではなく、神様の み心に従って歩んだのです。この地が神様の愛を知り、受け入れるように、さらには人々が互いに愛し合い命の豊かな営みをするようにと自らの歩みと命を捧げてくださったのです。

 ここに示されている聖書は、宣教の歩みを始めたイエスが故郷のナザレでは受け入れられなかったことが記されています。イエスは、「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。」と語り、かつてイスラエルの民が預言者を受け入れなかったのと同じく、自らの事も受け入れられないことを語ります。そのことによって、民はイエスに対して憤慨し、崖から突き落とそうとしました。しかし神様はその危機一発の状況を救ってくださいました。イエスは、自らに危機が迫る事を知りながらも、語るべきことを語り続け、なすべき事をなし続けたのです。イエスは、神様の言葉を語ると共に神様の み心を行うという大切な役割を受け入れ、神様を信じ歩み抜くのです。イスラエルの民もかつて、出エジプトの時「主の命令によって旅立ち、主の命令によって宿営した。」と記されている通りに行動して、カナンの地へと導かれたのです。

 2011年という新しい年を迎えて、私達は歩み出しました。この1年も私達の経験や知識や思いを越えた出来事との出会いがあることでしょう。 しかし、何が起っても共にいてくださる神様を信じて、祈りと希望と愛を忘れずに歩むことが出来れば幸いです。 1年は1日、1日の積み重ねです。今を大切にして与えられているかけがえのない命が、喜びに満ち溢れて輝き続けることを心より祈ります。
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