日本基督教団 西神戸教会月報
2011年3月号
☆しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。(ルカによる福音書11章17節) 3月11日(金)午後2時46分、東北地方太平洋沖大地震が発生し大きな津波によって、広範囲なわたり町々が壊滅状態になりました。多くの人々が命を失い、あるいは今なお行方不明になっています。大きな悲しみと苦しみと痛みの中で生きている人々がいます。その命が、絶望の中で希望を抱き歩み出せるように私達のできることを問いながら、与えられた場所でできる働きと祈りをしていきたいと願っています。私達にできることは、限られており不十分な物でしかありません。しかし、何もしなければ何も起こりません。どんな言い訳をしても何もしなければ、祈っていても願いは届かないのです。本当に祈り、願うならば行動が伴うものです。神様によって道が開かれます。そのことを信じ、それぞれの状況の中で自分たちの役割を果たしていければ幸いです。神様は、私達の心を見抜いておられるのです。 今3月を迎え、2010年度の締めくくりの時を迎えています。1年間を振り返り、それぞれの歩みに思いを馳せているのではないでしょうか。私にとっての1年間は多くの人々の愛と助けと支えによって、自らが生かされてきたことを知らされる時でした。神様を信じるとは、如何なることなのかを確認させられ、感謝なくしては歩めない日々が与えられました。神様の愛と恵みに満たされ、多くの人に守られ過ごせたことを心より感謝しています。しかし神様は、そのことを私に知らされるためにとても大きな犠牲を強いられました。クリスマス礼拝の翌日(12/20)に我が家にもたらされた娘の交通事故という大きな苦しみを通して、神様を信じ祈り続けるしかないことを痛感しました。人知を越えた力がそこに必要であることを思うとき、謙虚に神様に祈るしかないのです。そこで多くの人との出会いと多くの人々の助けがあり、命が支えられました。それも神様のなされた事だと知らされました。そして、神様はその祈りを聞いてくださり、より良き道を開いてくださることを経験しました。私は、意識の無い重体状態の娘を思いいつつ、クリスマス燭火礼拝(12/24)を行いました。200人を超える人々が集う中で、私は「私達を愛で満たしてくださる神様が、溢れるほどの多くの人々の祈りと願いを聞かれないはずはない。」と語り、「必ず祈りを聞き、奇跡を行われる」と公言しました。私は、この出来事の中で神様が私の「心を見抜いて」おられたことに気づきました。私は、牧師として、園長として、父として、パートナーとして等々、神様から与えられた人と共に歩んできました。人としての本質が、この出来事で問われる時でもありました。表面的な見せかけの歩みは、全て暴かれるものです。私は真剣に神様と向き合い、人々の愛の中を歩むことが許されました。感謝です。今こそ私達は、阪神淡路大震災を経験した地に生きる者として、神様に悲しみの中にある人々を覚えて心を込めて祈り、願い、そして歩んで行きましょう。 |
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