日本基督教団 西神戸教会月報
2011年5月号

   ☆イエスは言われた「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」
                          (ヨハネによる福音書6章35節)

☆わたしのところに来る人を、わたしは決して追い出さない。
                         (ヨハネによる福音書6章37節)

  私は、2010年12月20日の"あの日・あの時"以降、今に至るまでの間、日々の歩みの中で、神様を信じるということがどれだけ大きな力になるのかを知らされてきました。自分ではどうすることも出来ない現実の中で、ただ祈るしかない日々。ただ愛する者の側に居ることしかできない日々を過ごしながら、様々な事に気づかされてきました。心が騒ぎ立ち、平常心を失っている時、人は為すべきこと、進むべき道を見失ってしまいます。しかし、心が落ち着き、穏やかになる中で、今できることを見い出し、歩むべき道が拓かれていくのです。誰に何を求め、何を願い、何を為していくのかが大切な事になってきます。私達家族が困難の中にある時、多くの人々が温かい心のこもった声をかけてくださり、支えてくださいました。本当に多くの人々が私達家族のことを思って、各地で祈ってくださいました。神様から与えられたそれぞれの出会いの有り難さを感謝する日々です。今もなお、その状況は変わる事なく、次々と与えられる出会いの素晴らしさにも感謝するばかりです。神様を信じて、全てを委ね、祈り、与えられた出来事・状況を受け止めて歩むことで豊かな道が備えられていることを知らされます。神様の愛は、人の愛として私達を包んでくれています。神様を信じて生きることによって、その大切なことを知る者とされるのです。

  イエスは復活の後、弟子達の状況に応じて姿を現し、信じられないでいた人々を信じる人々に変えてくださいました。神様は、イエスを通してどんな時にも人を愛し、各々が状況に応じてより良き道を歩めるようにしてくださいます。イエスは、「わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことかない。」と語られました。私達がこの言葉を信じて歩む時、大切なものを神様から次々と与えられます。しかし、残念ながら、イエスに対して、自分の囚われから求め、願い続ける限りにおいて飢えや渇きからは解放されません。何故なら、神様が与えてくださるものは、私達の願い求めているものとは異なるものだからです。私達は、神様を信じることで様々な囚われや価値観から解放され、願い、求める方向が変えられていきます。その時に人は、イエスを信じることの素晴らしさと力強さを知るのです。そして、今、自らに与えられているものに感謝し、受け止めて歩み出す中で、希望を見い出し、道が拓かれていくことを経験するのです。神様を信じぬき、歩める幸いを味わいながら、感謝の日々となりますよう祈ります。
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