日本基督教団 西神戸教会月報
2011年11月号

☆主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
        主はわたしを青草の原に休ませ
          憩いの水のほとりに伴い
       魂を生き返らせてくださる。

       主は御名にふさわしく
         わたしを正しい道に導かれる。

       死の陰の谷を行くときも
        わたしは災いを恐れない。
       あなたがわたしと共にいてくださる。
                                                                 (詩編23編1〜4節)

 神様に愛されて、生かされていることに気づく時、私たちは心に平安が与えられます。私たちは時として、この世の出来事や忙しさの中で、色々な価値観に振り回され、様々な人間関係の煩わしさや自らの無力さでうんざりしてしまうことがあります。そんな行き詰まる時に神様へ心を向け、祈り、み心を問うと「魂を生き返らせ」てくださる主に出会うことができます。いったい何に悩み、苦しみ、疲れ、何に拘わり、惑わされているのかを知らされます。そして、その様々な囚われから解放されて行くとき、心に平安が与えられてくるのです。

 私は過日、「日本基督教団兵庫教区教師部主催研修会」に、ごく一部分ですが参加することができました。今回の主題は「東日本大震災を受けて連帯の道を探る」で、震災直後から今日までの歩みを知る時として、豊かな時間が与えられました。どんな時でも何に心と思いを向けて歩むかが大切であることを知らされました。主の愛を注がれ、生かされている私たちが、みことばに立って生きる者として、それぞれの与えられた状況の中で、どこを向いて歩んでいるのかが問われています。今、私は、個人的な家庭の事情で教区や地域や施設等にあまり関われずに歩んでいます。しかし、私が何もできない、しない者にならないように、今の自分にできることを見つめて歩みたいと願っています。

 毎月教会の役員会において、教会の様々な課題が話し合われます。その際、教会の頭は主であるはずなのに、いつの間にか牧師や信徒になってしまう可能性を感じてしまうことがあります。教会のなすべき働きは、今なお私たちと共に生きて働いてくださっている神様のみ心を行うことであります。しかし、本来大切にすべき事柄が、知らぬ間にこの世的な価値観によって、すり替えられてしまう危険性を感じます。私たちは、主の召しにより集められているのです。神様から委ねられている大切な働きに心と思いを寄せ、喜びをもって仕えて歩む時、私たちの力では味わうことのできない豊かさが与えられます。教会が本当に大切にすべきもの(者・物)を見失わず歩み続けて行けることを心より祈ります。それぞれが、今与えられている様々な状況の中で、神様に応答できることを問いながら歩んんで行ければ幸いです。
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