日本基督教団 西神戸教会月報
2011年12月号
☆言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いてる。 暗闇は光を理解しなかった。(ヨハネによる福音書1章4・5節) ☆その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 (ヨハネによる福音書1章9節) 今年もクリスマスを迎えようとしています。しかし、与えられているそれぞれの状況で、今までとは異なるクリスマスの迎え方となるのではないでしょうか。特に今年のクリスマスは、3月11日に起こった東日本大震災の悲しみと苦しみを抜きにして迎えることはできません。暗闇に光が与えられた大切な時としてのクリスマスの出来事が、豊かに迎えられるように願っています。 我が家にとっても今年のクリスマスは、特別な時となります。昨年12月20日に起きた娘のバイク転倒事故より1年が経ちます。昨年の燭火礼拝の時(12/24)は、意識不明の状態で目覚めることをひたすら待ち続けていました。その日、娘は、礼拝で聖書を朗読する5人の内の1人となっていましたが残念ながら、その願いは叶わず、名古屋から病院に駆けつけた兄が代わって朗読しました。その夜、病院で生死をかけて闘っている娘のことは、神様と妻に任せて、私と息子と次女は、クリスマス燭火礼拝で神様から委ねられていた働きをしました。私は、その時不思議と娘は助かると信じることができていました。医者からは、厳しい言葉を聞いてはいましたが、何故か心には平安が与えられており、彼女が目覚めることだけをひたすら待っていました。私は、その日の礼拝でも娘にクリスマスの奇跡が起こると語りました。娘にとって、全国で多くの人に祈られ、多くの人の愛に包まれて、病院で過ごしていることが大きな力となりました。暗闇の中で光が与えられていました。そして、その光は、後に彼女を目覚めへと導いてくれたのです。その目覚めも、兄が会社から配慮していただいていた休暇を終え、名古屋へ帰る日(1/3>に起こりました。その日の夜明け頃、夜勤の看護師さんが、目に光を当てて瞳孔の様子を見ていた時、私は彼女の目が微かに開いたような気がしました。そして、兄が帰る前に病院に寄った時、必死で呼びかけてみると目を暫く開けたのでした。その日から、目を開ける時間が少しずつ長くなり、沢山の機械に繋がれながらも頑張って、目覚めてくれたのです。 あれから1年が経ちました。今では、車椅子で動けるようになり、病院からの外出もできるようになりました。今年の燭火礼拝に出ることができることを願いながら今の時を過ごしています。しかも次の日のクリスマス礼拝にも出席するために、初めての外泊もしようとしています。何故なら、その日の礼拝で、次女が彼女の出来事を通して洗礼へと導かれることになったからです。本来あってほしくないことが、起こってしまいましたが、その中で神様は、豊かな道を与えてくださいました。私たち家族は、神様の恵みが豊かに注がれていることを知ることができました。 あれから1年…様々な出会いと支えが与えられ、そして今があります。 神様への感謝でいっぱいです。 |
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