日本基督教団 西神戸教会月報
2012年01月号

    ☆フィリポはナタナエルに出会って言った。
     「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。
      それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」

     するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、
     フィリポは、「来て、見なさい」と言った。

                           (ヨハネによる福音書1章45・46節)


 2012年という新しい年を迎えることができました。その事は、当たり前ではなく、神様の恵みに満たされてのことなのです。私たちは、自分に与えられている出来事をどのように受け取るかで、神様への思いは変わります。何に価値をおき、何を求めているのかで、与えられていることが恵みとなるのか否かが決まります。新しい1年、神様の愛と恵みを信じて、どんな中にあっても命が与えられていることを感謝し、与えられている役割を受け取り、そして、与えられている道を歩んでいきたいと思います。

 クリスマスにおいて、命を与えられ、この世の歩みを始められたイエスは、この世の価値感からかけ離れた歩みをされました。 この世の出発となる誕生の場所は、馬小屋であり、初めて寝かされた所は、飼い葉桶でした。そして、その後、ヘロデ王に命を狙われ、エジプトへ逃れの旅をし、へロデの死後は小さな町ナザレで大工の子として育てられました。 イエスにとって一番大切と思われるこの世で神様の働きをしたのは、僅か3年程でした。 さらにこの世の最後は、人々の思いや願いと異なった存在であったために、受け入れられず、罪も犯してもいないのに十字架にかけられてしまうのです。人は神様に何を求めていたのでしょうか。

 イエスは、ヨハネの二人の弟子が自らに従って来るのを見られ、「何を求めているのか」(1:38)と言われました。 それに対して、彼らは「どこに泊まっておられるのですか」と問うたのです。その事に関してイエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われました。 そのことによって、彼らは、「わたしたちはメシアに出会った」と他者に対して証しをする者とされました。さらにイエスは、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われ、彼を弟子とされました。 そのフィリポもナタナエルに出会って証しをしましたが、ナタナエルは信じようとはしませんでした。 しかし、そんな彼に、フィリポは「来て、見なさい」と言って、イエスの所へ導きました。イエスとの出会いによって、疑っていた彼も「あなたは神の子です。」と告白する者へと変えられたのです。 私たちは、教会に集う事により、あるいは日々の生活の中で、神様のなさることに出会い、信じるものとされているでしょうか。イエスもフィリポも出会うことを大切にしています。 理論や知識によつて、信仰は得られません。 私たちの思いを越えた出来事や言葉に出会うことによって、神様を信じる者とされるのです。 そこで大切なのは、私たちが「何を求めているのか」なのです。 全く見当違いな求め方をしていれば、神様のなさっていることが分からなくなります。 そのことは、神様が与えられたイエスの生涯に現されています。

 この1年も神様を信じて歩みましょう。
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