日本基督教団 西神戸教会月報
2012年03月号
☆イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない.」
(ヨハネによる福音書12章7・8節) 2011年3月11目の東日本大震災より1年が過ぎました。まだまだ、悩みと苦しみと悲しみの中で歩んでいる人々がいます。与えられる日々が豊かな希望に満ちた日々となりますように心より祈ります。阪神淡路大震災から17年、東日本大震災から1年の生き方が問われ続けています。私たちは、それぞれの与えられた場所で、個々の生き方が神様から委ねられています。こんなに大きな震災の出来事があったにも関わらず、何の影響も受けずに生きていける人々がいます。しかし、誰かが何かを言えるようなものではありません。それぞれの生きてきた生き様が、明らかになる時ではないでしょうか。表面的に整えても、すぐにメッキは剥がれてしまいます。人として、大切なものを、大切なこととして、受け止められるものでありたいと思います。私たちが17年の間、阪神淡路大震災という悲しく、辛い出来事を忘れる事なく、今の命を大切に生かされてきた様に、これから長い年月かかっても、私たちは東日本大震災と原発事故を覚えながら、自分の出来ることを前向きに行い続けていくことが大切なのではないでしょうか。人が繋がり、助け合い、補い合い、愛し合える世界が来るまで…。 神様は、聖書において、いつも大切な事に気づかせてくださいます。ここに示されている聖書の箇所もその一つです。自分の大切なものを大切なことに使うことの豊かさが示されています。イエスは、イエスの足に高価なナルドの香油を塗り、自分の髪でぬぐってくれたマリァの行為を、そのまま受け入れてくださいました。そして、その行為は、家の中を香油の香りでいっぱいにしました。しかしその行為を見て、イエスをお金のために裏切ろうとしている弟子のユダは「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい入々に施さなかったのか。」ともっともらしいことを言いました。お金にこだわり、お金に支配されているユダの心は、行為の大切さよりも、お金の使い道・価値観にしかない事が分かります。マリアにとっては、最も貴重で大切なものだからこそ、愛するイエスに捧げたかったのです。マリアは、再び何時会えるか分からないイエスに対して、今出来る最大限の行為をしたかったのです。今の時を逃してしまうと大切な機会を失うことになるのです。今、この時にしかできないこと、しなくてはいけないことに心を向けて、歩むことが必要なのです。様々な事が生じる世を生きる時、何時でも出来ることを行うのではなく、時を捉えて行うことこそが必要で大切になってくるのです。私たちは、神様から与えられている大切な命を、神様と隣人とのために用いるように神様から求められています。生かされている事に感謝して、より良く歩めるものでありたいと願います。私たちに注がれている神様の愛が、私たちを喜びで満たし、希望を与える源となるのです。 |
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