日本基督教団 西神戸教会月報
2012年06月号

☆さて、子たちよ、御子の内にいつもとどまりなさい。そうすれば、御子の現れるとき、確信を持つことができ、御子が来られるとき、御前で恥じ入るようなことがありません。あなたがたは、御子が正しい方だと知っているなら、義を行う者も皆、神から生まれていることが分かるはずです。 (ヨハネの手紙一2章28〜29節)

私達の日々の歩みは、様々な人や事との出会いです。その出会いの中で、神様を感じられる時もあれば、神様から引き離されることもあるのです。この世において、イエスを信じること、そのイエスを与え、導かれた神様を信じることは、難しいことです。何故なら、救い主として示されているイエスは、ベツレヘムの片隅の馬小屋で生まれ、ナザレの大工の子どもとして成長し、30歳を過ぎて、世に現れて神様の働きを始めて、3年程で十字架に掛けられて殺されてしまいました。その人をメシアとして受け入れられるかどうかが問われるのです。私達は、この世の価植観や感覚に捉われてしまうと、なかなかイエスご自身を受け入れることはできません。この手紙が書かれた時、危機的な状況があった事が分かります。「反キリスト」と言われる人々が現れ、その影響を受けて惑わされる人々が出てきました。そんな「偽り者」を見分ける方法がここに語られているのです。それは「イエスがメシアである」と告白できるか否かなのです。「偽り者とはイエスがメシア(キリスト)であることを否定する者でなくて、だれでありましょう。」と22節に語られているとおりです。せっかく神との出会いが与えられているのに、偽物を信じていては何の力にもなりません。真実なものを見出して信じてこそ、豊かな養いが与えられてくるのです。

 今、私達の周りには、溢れるばかりの情報が流れています。そして、色んな選択が与えられています。何を聞き、何を選ぶかによって、当然歩みは変わってきます。今の時代は、様々なものがデジタル化されています。それによって様々なものの価値観が変わりつつあります。そんな中にあって、私はアナログ的な歩みを続けています。今の世の流れの速さに、ついて行くことができていません。情報が飛び交う中で、限られた情報しか得ることができずにいます。ある意味では、選択肢が少なくて、楽とは言えますが、他の人に比べて世界は狭くなっているような気はします。でも溢れる情報に振り回されて、迷うことは少なくてすみます。自分の立つべき場所で、必要なものを必要なだけ得られれば、それだけでいいのではないでしょうか。私は、時代に取り残されつつも、大切なものを失わずに歩んで行きたいと願っています。私は、もう人生の折り返し地点を過ぎています。今、目の前にある事と向き合うだけで時間が足りません。そんな中で、それ以上のものを得る必要は無いと思っています。これからも様々な価値観の中にある周りの人々や事柄に左右されず、惑わされず、大切なものだけを見つめて歩みたいと願っています。変わりゆく時代だからこそ、変わることのない神の言葉を信じて歩むことが大切なのです。どんなことにも惑わされず、神の愛の中を歩み続けましょう。
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