日本基督教団 西神戸教会月報
2012年07月号
☆正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いています。こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。 (使徒言行録24章15、16節) 天候不順な日々が続いています。雨が沢山降る日や厳しい暑さの日、様々な天候が与えられています。そんな中で不順な天候に左右されて、体調管理も難しい状態です。 しかし、神様が大切な命を与えてくださり、私達は今生きています。そのことをこころに留め、日々を大切にして、過ごしていきたいと願っています。様々な与えられた環境や状況の中で、豊かに生きることができれば幸いです。 聖書は、多くの苦しみを受ける中でも、希望を持ち歩みゆける信仰のあり方を伝えてくれています。いつも与えられている様々な出来事や人や物を受け止めて、神様に感謝し、希望を抱き、歩めたらどんなにか豊かな命の営みとなることでしょう。イエスご自身も十字架を前にして、苦しみもがきました。しかし、神様に祈ることによって、神様の御心に全てを委ねる安らぎを得ました。自分の思いや願いではなくて、神様の思いに身を委ねていくことで、恐れや不安はなくなり、平安の中で歩み出せるのです。 パウロは、主イエスを宣べ伝えることによって、逮捕されました。ユダヤ人の中には「パウロを殺すまでは飲み食いしないという誓いを立てた。」(23:12)と語られている程の人々もいたのです。パウロ自身は何も悪いことはしていませんが、周囲の宗教感や価値感や思いや考えの違いで生じたことです。パウロのことを「実は、この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレの分派』の主謀者であります。この男は神殿さえも汚そうとしたので逮捕いたしました。」(24:5・6) とユダヤ人達はローマの総督に伝えています。世に混乱をもたらす政治犯のように訴えられているパウロは、自らの立場をはっきりと伝えるのです。パウロ自身は、逮捕されるようなことはしておらず、ユダヤ人達が訴えている理由も何一つ当てはまらないことを語るのです。パウロにもたらされている不当な逮捕に対して、正面から受け止め、弁明をするのです。それは、彼自身が何ら悪い事をしておらず、やましい事もなく、自分の責任を果たして歩んでいるに過ぎなかったからこその堂々とした態度であったのです。パウロは、この世の権力に捕らえられ、この世の力によって、信仰がつぶされてしまう危機に直面し、信仰を捨てれば、世を生きる事のできる道が示されました。そんな中でパウロは、「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。」と復活の希望を語り、復活の時、全てが明らかになると信じているのです。それゆえに、与えられた今をしっかりと生きているのです。全ては、神様のみ手の中にあり、いつも主イエスが共に歩み続けてくださっているという確信によって希望を抱くのです。私達もどんな中にあっても、神様の愛と恵みを信じて、与えられた道のりを希望を抱きつつ歩み続けましょう。 |
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