日本基督教団 西神戸教会月報
2012年09月号

☆自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手だてとせず、神の僕として行動しなさい。すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい。
(ペトロの手紙一2章16〜17節)

 私たちが、世を生きる時、不条理に思えることに多々出会います。何でこんなことが、行われ通用するのか、と嫌になることさえもあります。そんな私たちがもがき苦しむ中に、み言葉が与えられてきます。その大切な一言として、"神の御心に適うこと"とあります。私たちにとって、おかしいと思うことの中にあっても、神の御心が働いているのです。嘆き、苦しみ、悲しむ中にあっても、神の御心が示されているのです。その受け止め方によって、私たちの歩むべき道が与えられてくるのです。13節で"主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。"と語られていますが、何か変だなあと思ったとしても、そこに神の御心として行うべきことがあるのです。それが15節では"善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることが、神の御心だからです。" と記されます。私たちは、変だと思える中に敢えて遣わされることがあるのです。おかしな世の中の状況に遣わされた時、神様の御心が分からなくなってしまうのです。何で神様は、こんなことを許し、行わせているのだろうか…。その戸惑いの中で、私たちの歩むべき道をさまよわせてしまうのではなく、そんな中だからこそ、神様を信じて歩んでいくことが大切であることを知らされるのです。

 12節に"異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりはしても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。" と語られています。私たちが神様に与えられた状況の中で、神様を信じて歩み通していくことが大切であることを示しています。どんな中にあったとしても神様を疑うことなく"神の御心がある"と信じ続けていくことで、自ずと道は拓かれていくのです。19・20節においても"不当な苦しみを受けることになっても…善を行って苦しみを受け"たとしても、そのただ中において、私たちが神の御心に適う歩み方があることが記されています。そして21節で`あなたがたが召されたのはこのためです。" と記されているのです。

 私たちの日々の歩みは、神様からの豊かな愛と恵みで満たされています。そのことを様々な人との出会いや、色んな出来事に出あうことで知ることが出来るのです。それは、私たちの望むことばかりではありません。神様は、人の弱さや欠点や限界をいつも教えてくださいます。また、一人では生きられない事をも知らてくださり、異なりを持った者が、世に生かされて居ることの大切な意味を、私たちは見出すのです。しかし、残念ながら、頑なで自分の狭い世界に留まり続ける限りは、その希望と喜びにはたどり着くことが出来ないのです。神様が共に歩んでくださる、広く大きな世界の中で、私たちは苦しくても悲しくても、辛くても、豊かな助けと導きと希望があることを信じて歩んで行ければ幸いです。
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