日本基督教団 西神戸教会月報
2012年10月号
☆なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。 (フィリピの信徒への手紙3章12〜21節) 2012年度となり早や半年が過ぎました。この半年の間にも、それぞれの歩みの中でいろいろな事があったのではないでしょうか。嬉しいこと悲しいこと、様々だったことでしょう。それは、生かされていたからこそ、経験出来たことです。私たちは、例外なく全ての人が、長さには違いがあっても限られた時間の中を生かされています。その限られた中を、如何に豊かに過ごして行くかがとても大切なことだと思います。神様は、無駄に人を造られたのではありません。神様は、全ての人に命を与え、それぞれに使命と役割を与え、人と人との間に生かし、他者との出会いと交わりを与えてくださっているのです。人を創造する時に「人が独りでいるのは良くない。」(創世記2:18)と神様は語られました。そのみ心は、今も変わる事はないのです。人がその愛から外れる時、神様は、様々な事を通して、与えられている大切な愛に気づかせてくださるのです。その極みが、イエス・キリストの十字架でした。神様は、私たちが生きるために、どれほど多くのもの(者・物)を与えてくださっていることでしょう。そのことに人は、気づいているでしょうか。一人の人が生きるためには、多くの人が関わっているのです。身近な存在としても、家族によって、どれだけ助けられ、支えられ生きていることでしょう。人として生きるのに、より良い環境を神様は、整えてくださっているにも関わらず、人が自己中心になりエゴに満ち、愛に欠けることによって、その良き関係を壊してしまうのです。神様のみ心を我が心とすることが大切なのです。 フィリピの信徒への手紙を書いたパウロは、自らが獄中にありながらも、人々を励まし、喜びで満たされるようにと願っていました。彼は、自らにもたらされた様々な出来事と経験を通して、イエス・キリストへと導かれました。キリスト者を迫害する者から、キリストを伝えることに命を懸ける者へと変えられたのです。彼は、復活の主からの語りかけを聞き、出会いが与えられ、神の業に圧倒されて従う者になりました。迫害する者をも愛し導かれる、神様の大きな愛を知らされました。自力では生きて行けない現実を知り、人の手を借り、神様の愛に守られ、導きによって養われ、生かされていることへの感謝で満たされることにより、自分では得られない豊かな人生の営みを得るのです。私たちは、自分の人生に束縛されて、自由を失い、安らぎが奪われていることはないでしょうか。神様と出会うことで、人は肉の束縛から、この世の縄目から解かれるのです。神様を信じて歩むことで、誰にでもいつかは訪れる、死の現実を乗り越え、前に進むことが出来るのです。私たちは、どこに向かって進んでいるのでしょうか。神様が、人を造られた目的に向かっているかがとても大切なのです。見当違いの方向ではなく"目標を目指してひたすら走る"ことが求められているのです。世に与えられた全ての人が、笑顔で過ごせる世界が訪れることを祈ります。 |
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