日本基督教団 西神戸教会月報
2012年11月号
☆彼はわたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう。彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、わたしはその責任を追求する。(申命記18章18〜19節) 2012年も残り僅かとなり、もう来年のカレンダーが必要な時期になっています。教会においては、その残り少ない期間に、沢山の嬉しい為すべき業が残されています。今日が子ども祝福合同礼拝で、来週が収穫感謝日となり、その次の週からは、12月に入り、神様の独り子なるイエス・キリストの誕生を祝うクリスマスの準備の期間であるアドベント(待降節)になるのです。どんな準備が私たちにできるのでしょうか。華やかで、贅沢な世の中にあって、泊まるところもなく、馬小屋で誕生し、飼い葉桶の中で寝かされた赤ちゃんを心の中に迎える準備をしましょう。私たちは、神様から秋の実りと恵みをいっぱい受けて、今の時を迎えています。神様から与えられている日々は、喜びと希望に満ちています。しかし、せっかく与えられていても、それに気づかずに過ごすことで、喜びは奪われてしまいます。毎日の営みの中で、私たちはどれぐらい神様の恵みによって生かされているでしょうか。神の愛と恵みに満ちた世界に生かされている私たちは、その世界を自ら放棄してしまっているのです。その現実を知る時に、生き方が変わるのです。神様によって、一番大切にすべきことが、変えられていくのです。私たちが今まで追い求め、願い続けてきたこの世の価値観から解放されて、神様の与えてくださる生き方へと一変することができると、生きることが苦しく辛い世界が、生かされていることの喜びに満たされる世界へと変わるのです。それを知るには、神様の言葉が必要なのです。 イエスは、この世に言葉の種を蒔いてくださっています。その種は、分け隔てなく色んな土の上に蒔かれているのです。ゆえに、その蒔かれた全ての種が育つのではないのです。蒔かれた種は、人に踏みつけられたり、地面が堅く水分不足等で芽を出さずに終わったり、途中で枯れてしまったり、成長はしても、他のものに邪魔されて実るまで至らないものもあるです。しかし、蒔かれた場所が良ければ、多くの実りを得ます。イエスは種を蒔く人の讐えで「種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ」(ルカ8:8)と語り、「聞く耳のある者は聞きなさい」と人々に語りかけているのです。私たちは、蒔かれた種を育てる環境作りが必要です。せっかく大切な言葉を聞いていても、受け止める側が整えられなければ、良くは育ちません。私たち人間は、神様からの言葉を聞く責任が問われています。神様の言葉は、神様の立てた人(預言者・イエス等)によって、語られ続け、今は聖書において語られています。その聞いた言葉を、自分勝手に変えて聞きやすくしたり、自分中心の解釈をしたり、神様が語られているものを自分の言葉としていては何にもならないのです。神様の語られる厳しい言葉によって、自らの弱さや欠けやいたらなさや罪に気づかされて、生きなおすことが必要です。ぶどうの技は、木につながってるから実を結ぶのです。(ヨハネ15:1〜) |
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