日本基督教団 西神戸教会月報
2012年12月号
☆ ☆その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 12月に人り、日が短くなり、時折厳しい寒さもあって、クリスマスの寒さ、冷たさ、暗さを感じる日々となっています。暗く寒い闇夜で、家畜小屋の飼い葉桶の中に主イエスが誕生することで、光とあたた(温・暖)かさが与えられました。今、私たちは、2000年以上前に与えられた光の中を歩んでいます。暗く、寂しく、冷たい私たちの心に、神様は、温かく優しく明るい光を与えてくださったのです。それは、他者に邪魔され、奪われるものではなく、私たちの心の中で輝き続けていくものなのです。人は、自分で作ってしまっている闇夜に気づいているでしょうか。せっかく神が与えてくださっている愛に満ちた光を、私たち自身が見失い、捨て去ってしまっているのです。与えられている助け人を遠ざけ、助けるべき人から離れ、愛によって与えられる温かさ、優しさ、明るさを失っているのではないでしょうか。 子ども達のクリスマスの喜びは、イエス様の誕生を知らなくても、サンタクロースや家族によって与えられています。そこに登場する人は、プレゼントを贈る子どもの愛情に満ちているのではないでしょうか。子どもの喜ぶ顔が見たいから、せっせとプレゼントを用意するのです。それは、大人同士の関係でもクリスマスプレゼントを相手に贈りたいという思いで用意するのは、同じではないでしょうか。そこには、少なくとも愛(人間的)という感情が働いています。プレゼントをもらうことも贈ることも喜びとされる世界があります。だからこそ、私たちは、愛の源であるイエスの誕生を心から祝う準備をするのです。独り寂しく、悲しく、苦しく、暗く、辛い時を過ごしている人の所にもクリスマスの喜びは与えられるのです。神様は、世界の片隅であるベツレヘムで、暗く寒い闇夜に、人に知られることもなく家畜小屋の飼い葉桶にイエスを寝かされたのです。しかし、そこには愛する家族が与えられ、豊かな時が過ぎてゆきました。一つの命の誕生は、何物にも変えられない喜びなのです。そう思えなくなっている世界は、自己中心で悲しい世界ではないでしょうか。神様が闇に与えてくださった光を、心より感謝して過ごしましょう。 私にとって12月は、毎年多忙で心身ともにギリギリです。しかし、そこには、それを支えてくれる喜びがいっぱいです。神様から与えられた私の大切な責任を果たせるように、いつも弱く、小さく、欠けたる器を支えてくれる多くの助け人が与えられていることに感謝します。 今年も私は、神様が与えてくださっている教会と幼稚園と家族との大切な時を味わって過ごしたいと思います。神様の愛に満ちたクリスマスの喜びが、悲しみと困難な中を歩む人々に与えられますように祈ります。 |
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