日本基督教団 西神戸教会月報
2013年2月号

 ☆さて、イエスは悪魔から誘惑を受けられるため、"霊"に導かれて荒れ野に行かれた。《マタイによる福音書4章1節》

 ☆すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ。』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。《マタイによる福音書4章10〜11節》

 新しい朝を迎える度に、命が与えられ、生かされる喜びと感謝で歩み出しているでしょうか。神様は、かけがえのない一日を与えてくださっています。その豊かさを感謝して、より良く用いて歩むことが大切です。一人ひとりに与えられている再び戻らない時を大切に過ごしましょう。

 私たちが日々を歩む時、私たちを神様から引き離す様々な誘惑に出合います。それは、生きるうえで必要なことであり、私たちが神様を近くに感じることの出来る時ともなります。イエスも神様の働きを始める前に、自ら悪魔の誘惑を受けるために荒れ野に出て行かれました。大切な役割を委ねられ、歩み出すためには、無くてはならないことだったのです。日々の出来事の中で、様々なことに心惑わされ、目を奪われてしまいます。そんな中で、大切なものをしっかりと見い出し、選択出来ることが重要となります。当然のこととして、全ての基準を神様に置くことが出来るか否かで、歩みと行いは変わります。イエスの弱さに悪魔は現れました。まずは、40日間断食をして、空腹を覚えているイエスに対して、「神の子なら」と語り、石をパンに変えて食べることを促します。しかし、その誘惑に対して、イエスは空腹の中にあっても「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」と答え、退けました。次に悪魔は、神殿の屋根から「神の子なら、飛び降りたらどうだ。」と神様の助けが聖書に書かれているようにあるかを試させようとしましたが、イェスは「あなたの神である主を試してはならない。」とも記されていると答えて、その誘いをも退けました。そして最後に悪魔は、高い山にイエスを連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて 「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう。」と告げたのです。その誘惑に対して、イエスは「退け、サタン。」と語り「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ。」との聖書の言葉に従うことの大切さを伝えたのです。すると悪魔は、離れ去って行きました。イエスは、悪魔の誘惑を通して、自らの神様との関わりと繋がりを確認することが出来たのです。

 私たちも日々誘惑にさらされています。私たちの心を揺さぶる食欲・物欲・権威欲等ありとあらゆる欲望によって、神様から引き離されてしまいます。今与えられている神様の恵みと愛の豊かさに満足できず、悪魔の誘惑の虜となってしまうのです。だからこそ、神様がいつもどれ程私たちを愛して、満ち足らせてくださっているかに気づくことが大切なのです。日々の生活で当たり前だと思ってしまっている中に、どれだけ多くの神様の恵みがあることでしょうか。命が与えられ、生かされているということだけでも大きなことなのです。その命を委ねられている者として、豊かに過ごせるか否かは、神様にではなく、私たち自身の生き方に全てがかかっているのです。今日という日を神様に感謝し、喜びと希望に満たされて歩みましょう。
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