日本基督教団 西神戸教会月報
2013年09月号

☆あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしとてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。
《エフェソの信徒への手紙5章1〜2節》

☆すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい。《5節》

 暑い夏も終わり、少しずつ涼しさを感じることができるようになりました。神様から与えられる様々な秋の実りを楽しみながら、生かされている喜びと感謝に満たさて、歩めたら幸いです。私たちの周りを見渡す時、神様の愛に包まれていることを知ることができます。神様から与えられている一つ、ひとつのもの(物・者)を、しっかりと受け止め、感謝して歩むことが大切です。私たちは、あって当たり前だと思い込んで歩んでしまっていることが多くあります。私たちが、今生かされている命そのものもそうなのです。せっかく与えられているものを、台なしにしてしまわないようにしたいものです。神様は、人がより豊かに生かされる道をいつも用意してくださつています。そのことに気づかず、人は不平不満の中で歩んでしまう愚かな者なのです。神様ではなく、私たち自身が、自分の人生を空しくしていることを知らなくてはなりません。いつまでも、自分の歩みと行い(言動)を振り返らず、神様や他者の責任にしていては、幸せは訪れないのです。神様の御心・御言葉に従って生きるのは、簡単ではありません。何故なら、神様が愛してくださっていることを知り、「自分自身のように隣人を愛さねばならない」からです。私たちは、自分のことを愛するあまり、他者や神様に心を向けることができなくなっているからです。そんなわたしたちに、聖書は「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。」と語り、キリストの愛を受けて「あなたがたも愛によって歩みなさい。」と伝えているのです。私たちは、神様に愛されていることに気づいているのでしょうか。

 今年も召天者合同追悼記念礼拝を迎えました。多くの信仰の先達の方々が、神様の導きに従って、この世の生涯を閉じ、神様のみ許に召されていきました。これは、私たちにはどうすることもできない出来事です。神様が、人に命を与え、その命を取られるという現実と出会います。私たちにできることは、その命を豊かに用いるということだけなのです。それゆえに、限られたこの世における私たちの歩みを、如何に大切にして、有意義に過ごすかが重要ではないでしょうか。それは、私たち次第でできることなのです。そのために必要なのが、信仰なのではないでしょうか。与えられた命は、自分だけのために用いても、大切な役目を果たすことができません。人は、独りで生きる者ではなく、他者と共に生きる者なのです。私たちは、先達の方々との出会いと交わりの中で、その豊かさを知らされたのです。その人の生き様が、その後を生きる人々の中で生き続けるのです。私たちも与えられた残りの人生を、自分本位なものとする事なく、神様の導きと愛の中で感謝と喜びに満ちた日々としたいものです。人の世を生きるものとして、神様と人の愛に支えられて、希望を抱き続けて歩めたらいです。
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