日本基督教団 西神戸教会月報
2013年11月号
☆主の御言葉は正しく 御業はすべて真実。 主はみ恵みの業と裁きを愛し 地は主の慈しみに満ちている。《詩編33編4・5節》 いつの間にか朝夕、すっかり寒さを感じるような季節となりました。この季節に大地は、沢山の実りを与えてくれています。今、私たちの周りには、神様の与えてくださっている恵みで満ちています。秋の実りの時が与えられ、心も体も満たされて過ごすことができていることを心から感謝しています。しかし、そんな中にあっても、様々な場所で、自然災害や争いのために、突然、命や生活が奪われている人々もいるのです。特にフィリピンを襲った台風30号は、人々に深い悲しみをもたらしました。そんな世界の中で、私たちは、今を生かされています。与えられている命に感謝し、命を豊かに用いて、一人ひとりのなすべき役割を果たしていければ幸いです。せっかく与えられている、かけがえのない大切な命ですから、無駄遣いをしないで、他者と共に生きる豊かな世界を築くために費やすことができれば、幸いです。 私たちは、神様がどれだけ私たちに愛情を注ぎ、豊かなものを与えてくださっているかが、分かっているでしょうか。あまりにも多くのものが、与えられ過ぎていて、そのことに気づかないでいることはないでしょうか。多種多様な物が与えられているから、余計に欲張ってしまっているのかも知れません。聖書の一番最初にある創世記は、天地創造の出来事が記されています。そこには人が世に命を与えられ歩み始めた時、"裸であったが、恥ずかしがりはしなかった"と記されています。人は、もともと着る物を必要としていなかったのです。しかし、人が罪を犯したために、着るものが必要となってしまいました。それは、人が神様によって食べる物を十分に与えられているにも関わらず、ただ一つだけ禁止されてた木の実(善悪を知る木)を取って食べてしまったことによるものなのです。人が神様から与えられている物だけでは満足できなくなって、神様の思 いから離れてしまったのです。今を生きる私たちも、知る必要のないものまでも知りたがり、そのことで自分自身の歩みを苦しくしてしまっているのです。実りの秋を迎えて 、今一度、私たちは、どれほど多くの恵みに満たされているのかを知り、このことを受け止めて歩んでいきたいと願っています。 聖書は"地は主の慈しみに満ちている。"と語っています。"慈しむ"を辞書で調べてみますと"かわいがる"と記されています。神様は、私達の生きる地を愛し、かわいがってくださっているのです。その印が、私たちの周りに満ちています。当然、地に生きる私たちも神様に愛され、かわいがられているのです。そのことを否定してしまうのが、人間の思いと行いなのです。神様から人間が、与えられているとても大切なもの(物・者)を、人が大切なものとして受け入れ、受け止められないからなのです。人は、自分を基準にして、様々な異なりや違いを否定してしまうのです。本来、違いや異なりは、大切で必要なものとして、神様が与えてくださったものなのです。人が独りでいるのは良くないから、異なる存在を創造し、力を合わせて生きるようにしてくださったのです。その神様の思いを受け止めて歩みましょう。 |
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