日本基督教団 西神戸教会月報
2013年12月号

☆わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
 身分の低い、このはしためにも目を留めてくださったからです。
 今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
 カある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
               《ルカによる福音書1章47〜49節》

 今年も私たちは、いつものようにクリスマスを迎えようとしています。災害や紛争が絶え間なく起こっている中、私たちは、どんなクリスマスを迎えようとしているのでしょうか。この世は、クリスマスと言うだけで、浮かれ気分になっています。教会は、12月1日にアドベントに入り、クリスマスへの準備を始めました。ところが、私たちの身近な所や街では、教会が準備を始める前から、すでにクリスマスツリーやクリスマス装飾で、華やかに美しく、きらびやかに彩られています。そしてさらには、至るところで高価なクリスマスプレゼント商戦が繰り広げられているのです。クリスマスを楽しみにして、喜び一杯の時として過ごしてくれることは嬉しいことです。でも、何かが違います。その違いは、何でしょう。そこが大切なのです。そのことを教えてくれる聖書の一つが、上に記されている"マリアの賛歌"です。御子イエスの母として、マリアが選ばれました。その選びに際して、マリアは、驚きと戸惑いの中「どうしてそんなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」と言いました。様々な状況から、神様によって選ばれたことが理解出来ませんでした。しかし彼女は、天使の言葉を聞いて、あり得ないことを信じて「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」と神様の言葉を全て受け入れたのです。それゆえに、自らを選び、目を留めてくださった神様を賛美するのです。

 神様は、自らの大切なひとり子の母としてマリアを、父としてヨセフを選ばれました。その二人にとっては、負い切れないほどの大役です。しかし神様は、マリヤとヨセフと共にいてくださり、いつも守り、導いてくださいました。そして、無事馬小屋でイエスは生まれ、飼い葉桶の中に寝かされたのです。ここにも神様の大いなる意志が働いていました。それは、日々の歩みの中で、人々に顧みられず、宗教的にも排除されてきた羊飼いに目を留めてくださり、救い主誕生の最初の証人としてくださったのです。世の人々が、神様の祝福からもれているように思っていた人々に、大切な知らせと働きが与えられたのです。それは、この世の華やかさの中にある闇の部分での出来事でした。みんなは、暖かい部屋で宿を取り、にぎやかな夕べの一時を過ごしている中、人に知られることなく、誰からも顧みられることもなく家畜小屋で起こった誕生の出来事なのです。そこに、世の賑わいや華やかさや明るさはありませんが、そこには集った人々の喜びと暖かさと明るさで、満ちていたのではないでしょうか。マリアは、「身分の低い、このはしためにも目を留めてくださった」ことに感謝をしています。クリスマスは、あり得ないことを神様がなしてくださった日です。それは、この世の価値観を一掃するものでした。世の人々が求め、願い、追い続けているものの中に神様の御心は見つかりません。様々な求めから解き放たれた人にこそ、神様の御心は示されるのです。クリスマスは、全ての人の喜びとして与えられた日です。だからこそ、全ての人と喜びを分かち合うことができる時となることを祈ります。
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