日本基督教団 西神戸教会月報
2014年3月号

☆イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。《マルコによる福音書3章20・21章》

☆どうして、サタンがサタンを追い出せよう。国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない。同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。《マルコによる福音書3章23〜26章》

 3月に入り、2014年度も最後の時を迎えています。一年の歩みを顧みて、与えられた数々の恵みに感謝して、新しい年度も希望と力を得て、歩み出したいと願っています。私たちに与えられる日々の歩みは、受け取り方一つで良くも悪くもなります。神様の愛と恵みを信じて、全てをより良く受け止めて歩みたいものです。

 イエスとの出会いも一人ひとりの受け止め方で、様々な反応が起こります。イエスを頼り、求めている人は、イエスがどこに行っても、追いかけていきました。聖書は"イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。"とその様子を伝えています。しかし、一方でイエスの「気が変になっている」と言う噂を聞いて、身内の人は、イエスを取り押さえに来ました。そして、イエスの言葉と行動が納得いかない人々は、イエスの業を神の業ではなく、サタンの業として、人々に触れ回るのです。せっかく神の子イエスと出会いながらも、素直に受け入れられない人々は、より良く生きる道を放棄してしまいます。

 イエスは、批判する人々に対して、彼らの言い分の矛盾点を指摘するのです。それは、悪霊を追い出しているイエスに対しての批判ですので "どうして、サタンがサタンを追い出せよう。国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない。同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。"と語られたのです。これらの反応の違いは、私たちの日々与えられる様々な場面における反応の違いともいえるのです。この反応の違いで、私たちの人生は大きく変わってくるのです。私たちは、いつも絶え間なく神様から、何をどのように受け止め、どうするのか、と問われ続けているのです。そんな私たちにとって大切なことは、神様の愛に満たされて生きることです。愛に満たされているなら、私たちに与えられていることに、無駄なことはないと受け止めることができるのです。

 私たち一人ひとりに与えられている世界には、それぞれの役割、様々な繋がりがあります。それを大切にすることで、豊かな世界を築くことができるのです。私たちに与えられている役割は、自分だけのものではなく、繋がりや関わりの中で果たされていくものなのです。その大切な意味を見失い、自己中心的なものとした時、分裂が生じてくるのです。私たちの遺わされている働く場も同じです。働きの大切な意味を忘れて、他者のためでなく、自分の生活のためのみとなると、人としての関係性は崩れていくのです。幼稚園や保育園では集う子どもとその家族の事、各施設では利用者とその家族の事、病院では患者とその家族の事、商売ではお客さんの事、利害関係はありつつも、相手を思いやることで、豊かな世界が創り出されていくのです。そこになくてはならないものが、愛なのてす。愛なくして世は成り立たないのです。
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