日本基督教団 西神戸教会月報
2014年4月号

☆マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。
                       《ヨハネによる福音書20章11節》

☆イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか。」
                       《ヨハネによる福音書20章15節》

☆イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る。』と。」
                      《ヨハネによる福音書20章17節》

 2014年度の歩みが始まりました。神様に支えられて、今の歩みが与えられていることの幸いを覚え、心豊かに、喜びと感謝に満たされて歩みたいと願っています。どんな一年になるかは、誰にも分かりません。だからこそ、神様の愛を信じて歩むことが大切だと思います。その愛の表れとして、イエスがこの世に遣わされました。死と復活の出来事を通して、多くのことをわたしたちに教えてくださったのです。

 マリアは、愛し、慕い続けてきたイエスの十字架の死によって、大きな悲しみの中にありました。そして、そのイエスの死に対して、自分のできる最大限の愛の表現として、遺体に香油を塗りに墓にでかけました。ところが、その唯一の行為をなそうとしたイエスの遺体が、墓にはありませんでした。再び大きな悲しみが彼女にもたらされたのです。彼女には、どうすることもできない悲しい現実が、彼女を苦しめるのです。そんなとき、墓の中で白い衣を着た二人の天使が現れました。そして天使は「婦人よ、なぜ泣いているのか。」と問うたのです。その問いに対して、マリアは「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」と答えたのです。その悲しみの中にある彼女の前にイエスは現れてくださいました。悲しみのただ中に主イエスが寄り添ってくださったのです。しかし、残念ながら、悲しみの現実に塞がれてしまっているマリアには、イエスの存在が分かりませんでした。そんなイエスに気づかないでいるマリアに、イエスは「マリア」と優しく、以前と同じように呼びかけてくださったのです。その時、マリアは、目の前にいるイエスの存在を知るのです。彼女の喜びは、どれほど大きかったことでしょう。十字架の死の現実と遣体の無い事実を目の当たりにして、悲しみにくれていたマリアの前に、信じ難い復活という現実が与えられたのです。そのことが、彼女に新たな歩み出す力を与えたのです。彼女は、イエスにすがりつくことから、一歩を踏み出して、喜びの知らせを弟子たちに伝えにでかけたのです。マリアは、弟子たちに「わたしは主を見ました」と告げ、イエスから委ねられたことを弟子たちに伝えたのです。

 空虚な墓の出来事は、大きな悲しみから喜びへと導かれたマリアによって、復活の出来事へと変えられたのです。悲しみによって、泣き続けていた人が、共に歩んでく
ださるイエスに気づくことによって、新しい歩みへと進みゆくことができたのです。わたしたちの悲しみの現実にも、神様の愛は注がれ続けています。そのことを信じる.
ことの出来る人は、神様の与えてくださっている現実に出会うのです。
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