日本基督教団 西神戸教会月報
2014年9月号

☆キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。《ガラテヤの信徒への手紙1章6節》

☆こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているならわたしはキリストの僕ではありません。《ガラテヤの信徒への手紙1章10節》

 今この時に、神様から命が与えられ、生かされていることに感謝すると共に、そこに込められた深い意味に思いを寄せて、歩みたいと願っています。私たちはかけがえのない、たった一度の一つの命を神様から委ねられ、与えられているのです。神様は、どの命も世において、意味あるものとして存在させてくださったのです。しかし、受け取った人間の側が、その意味を知らず、取り違えてしまい多くの悲しみを引き起こしてしまっているのです。私たちがより良く生きるために、神様はみ言葉を与えてくださっています。そのみ声に聞き従うことで、神様の思い(「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは極めて良かった。」)の中で歩むことが出来るのです。それは、人にとって従いやすいことばかりではありません。人が自分中心で歩むとき、困難を生じます。何故なら、本来、人は助け合う存在だからです。自分のことばかり考えていたのでは、思うようには行かないのが当たり前のことなのです。人と共に生きれる世界を喜び、楽しめる人は、助け合うこと・支え合うこと・補い合うこと・愛し合うことが当たり前で、それが自分をより良く生かすことであることを味わうのです。私たちが生かされている神様の創造された世界が、神様の思いに適った世界となることをを信じ、祈り、願い歩みたいと思います。

 聖書は、神様のみ心から離れている者を引き戻してくれます。いつの間にか、この世に埋没し、この世の価値観に支配され、人として大切にすべきものを見失っている者に、神様の与えてくださっている恵みを示してくれるのです。神様が人に与えてくださっている恵みを知るとき、人は生きる道を得るのです。人はそれぞれ、与えらている賜物が違い、様々な異なりの中で生かされています。ありのままで目の前にある大切なもの(者・物)に気づくことで、豊かさを得ることが出来ます。それぞれが異なっていることこそ、神様の思いであり、恵みなのです。それぞれの異なりと違いを大切にすることで、世界は広がります。それぞれの与えられている命の意味がそこにあるのです。そのことを否定し、自分の思い通りに全てを従わせようとする世界は、人を苦しめ、締め出していくのです。イエスは、人の造った締め出す世界の中で、苦しみ・悲しみ・痛みを負う人々と共に歩まれました。人によって作り出された飢え渇きの世界の中で、イエスはいつもその傍らで慰めと励まし、更には癒しを与えてくださり、心と体を満たしてくださったのです。

 今、神の創造された世界を、人が作り変えることで、自然界が悲鳴を上げ、壊れてしまいました。神様の思いを受け止められなかった人間中心の営みが、異常気象といわれる現象を作ってしまったのです。悲しい現実が今もたらされ続けているのです。
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