日本基督教団 西神戸教会月報
2015年5月号

☆イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの弟子たちにガりラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」(マタイによる福音書28章10節)

☆さて、十一人の弟子立ちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。(マルコによる福音書28章16~17節〉

☆わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(マタイによる福音書28章20節)

 新年度の歩みが始まり、もうひと月が過ぎました。何もしなくても、時は流れて行きます。時の流れを無駄にせず、一日一日を大切に神様から与えられた豊かな命の営みに心を向けて歩めたら幸いです。わたしたちの歩みにおいては、わたしたちの好むと好まざるに関わらず、色々な出来事に出会います。その出来事の中で、わたしたちは様々なことに出会い、経験し、考えさせられます。それは、人をより良く生かすための大切で必要な時であると受け止められるか否かで、その後の歩みは変わってきます。苦しいこと、悲しいこと、辛いことの中にも、神様の愛と恵みは注がれ続けているのです。神様を信じて、希望を失わず歩み続けましょう。

 今わたしたちは、イースター《復活日》の礼拝より、復活節の日々を送り、礼拝毎に復活の主イエスの愛に満ちた姿に出会う機会が与えられてきました。イエスは、臆病で、疑い深く、弱く、自分中心の歩みしか出来ない弟子たちであっても、呆れる事なく、諦めず、切り捨てず、神様の愛で満たし、大切なことを伝え続けてくださったのです。そのイエスの働きかけによって、弟子たちは変えられました。イエスの十字架を前に、裏切り、逃げ去った弟子たちに、主は復活の体を現してくださり、復活の出来事とイエスの言葉を信じるように導いてくださいました。そして、その後に再びイエスは天に昇られて姿が見えなくなり、今度は神様から聖霊が与えられることを告げられたのです。その言葉を信じ、一同が集まっていて聖霊を受けた弟子たちの働きによって、教会が誕生したのです。見えない聖霊の力が与えられたのです。

 復活の主に出会っても「イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。」と聖書に記されています。そんな者をも、復活の証人とし、宣教の働きへと遣わしてくださったのです。そんな弟子にイエスは、「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」と語りかけ、「すべての民をわたしの弟子にしなさい。」と役割を与えてくださったのです。そして最後には「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と彼らを責任もって遣わすことを伝えてくださったのです。その約束に基づいて、弟子たちは聖霊降臨の後に、何もの(者・物)をも恐れず、神の言葉と業を語り続けたのです。弟子たちは、自らの欠けと弱さを知らされつつも、神様の愛に支えられ、押し出されて、神様からの力を受けて大切な働きをしたのです。

 今を生きるわたしたちは、当時の弟子たちと同じく、それぞれの場へと神様から遣わされ生かされているのです。わたしたち一人ひとりが遣わされているその場、その所、その時に応じて、わたしたちの思いや力を越えて、神様の業が行われ続けています。そのことに気がついているでしょうか。自分の思いではなく、神様の思いに心を向けて行く時に、気づくのです。その力は、神様の御心に従った歩みの中で、豊かに発揮されるのです。神様は、どんなわたしたちであっても見捨てず、見放なさず、共にいてくださることを信じて、与えられた大切な命の営みを豊かになしましょう。
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