日本基督教団 西神戸教会月報
2015年6月号

☆さて、主の天使はフィリポに「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。フィリポはすぐに出かけて行った。折から、エチオビァの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であった。彼は馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。
(使徒言行録8章26~29節)

☆道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」
(使徒言行録8章36節)

 新しい朝・新しい一日・新しい一週間・新しい時が与えられました。そのことをわたしたちはどれぐらい感謝し、大切に歩んでいるでしょうか。わたしは、娘の事故以来、新しい朝を迎えられた感謝を今まで以上に、深く強く思って日々を過ごすようになりました。そんな思い中で、過日、教会で計画し、行った特別講演会でカンベンガ・マリールイズさん(NPO法人ルワンダの教育を考える会理事長)のお話しを聞く機会が与えられました。彼女はルワンダの内戦(虐殺)の中、何とか命を保たれ、様々な神様から与えられた良き出会いの中で、今の時まで過ごしてこられたことを知らされました。「じゃあ、また明日」と別れた友との次の日が来なかった現実を知らされました。そんな悲しい現実の中にあっても、彼女は神様の恵みに満たされて歩まれました。生かされていることの感謝こそが、今の活動に繋がっているのです。現在も福島にて、母国ルワンダと被災地福島に思いを寄せて、彼女なりの働きを続けておられます。良き出会いが与えらたことを感謝します。

 さて、ここに与えられた聖書においても、神様による出会いと交わりが語られています。それは、使徒フィリポとエチオピア人の宦官との出会いです。フィリボは、神様の言葉を信じて寂しい道を歩み出しました。何があるか分からない不安や恐れの中で、エチオピア人の宦官と出会うのです。しかも、その出会いは、エチオピア人である宦官を洗礼へと導くものとなりました。わたしたちには、様々な機会が与えられています。それを神様は良きものしてくださいます。思いもよらぬ出来事の中で、ふさわしい助け手が与えられているのです。マリールイズさんが話してくださった中でも危機・困難・ピンチのたびに、神様から不思議な助けが与えらてきたことを知らさました。神様は、わたしたちの思いを越えて豊かな道をいつも備えていてくださるのです。そのことを信じて、その時にできることを精一杯することで、道が拓かれていくのです。わが家も娘の事を含めて、神様の恵みに満ちた出会いと交わりを重ねて、今を迎えています。とても不思議で驚くような出会いも数々ありました。神様は、わたしたちを世に生かし、神様の愛と人の愛によって歩めるように道を整えていてくださっています。一つの出来導で考えてみますと、神様の与えてくださった良き機会とするのか、自分にとっての善し悪しで受け止めるのかで、当然わたしたちの生き方は変わります。神様を信じることによって、わたしたちはどんな中にあっても、神様によって生かされていることを中心に考えることが出来るようなるのです。だから、自分の命だけでなく、他者の命も神様によって与えられた、たった一つのかけがえのない、とうと(尊・貴〉い、何ものにも変えられない大切なものなのです。日々与えられる"神様による出会いと交わり"を感謝し、心豊かに歩み、せっかくのチャンスを自ら放棄して、孤独に支配され、闇の中をさまようことのないようにしたいものです。
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