日本基督教団 西神戸教会月報
2015年7月号
☆なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上に召して、お与えになる賞を目指してひたすら走ることです。 (フィリピの信徒への手紙3章13~14節〉 ☆だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかり立ちなさい。 (フィリピの信徒への手紙4章1節) 2015年も半分以上の月日が流れました。その歩みにおいて、嬉しいことも悲しいことも辛く苦しいことも喜びに満ちたことも与えられました。その与えられた日々の中で、わたしたちは、神様の愛を感じながら歩めたでしょうか。わたしは、様々なことが起こり、与えられる中で、神様を知っている、信じているということが、本当に幸せなことであると実感しています。例えば、わたしたちの思いや知識を越えた突然の出来事の前で、どうすることもできずにいる時に、神様に全てを委ねて歩む道が与えられます。日々の出来事の中で、わたしたちを愛し、支えてくださる神様の恵みに出会うのです。そんな信仰による幸いな歩みをパウロは、人々に伝え続けたのです。それが、聖書の中でパウロ書簡と言われる多くの手紙として記されています。 さて、ここで与えられている聖書においても、パウロは、せっかく信仰を与えられたのに、様々なことによって、その道からそれてしまう人々を惜しみ、再び信仰の道へ戻れるように神様の救いを語ります。彼は、「兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。」とまで告げるのです。そんな彼が心を悩ましていたのは、それぞれの違いによる分裂でした。 教会を支え、愛と奉仕の業をなしている中心には、いつの時代も多くの女性たちがいました。フィリピでも、そんな働きをしていたエボディアとシンティケという女性がおり、競い合っていたようです。二人は、「命の書」に名が記されるような指導的役割を担っていました。そこでパウロは、二人に対して「主において同じ思いを抱きなさい。」と記しています。そして、それに加えて、周りのフィリピの教会の人々に対しても「この二人の婦人を支えてあげてください。」と協力を求めるのです。彼女たちは、それぞれが一生懸命に神様の働きをしてきたことでしょう。それゆえに、教会の働きをする人々にとっても大切な存在だったと思われます。しかし、残念ながら、彼女たちの熱心さが、分裂の原因ともなってしまったのです。何故、神様によって遣わされているのに、そこで揉め事が起こってしまうのでしょうか。パウロは、フィリピの教会に対して、「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分より優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。」(2:2~6)と記しています。一方ではなく、互い心掛け、同じ思いとなる事が求められています。 今の教団や教区や教会でも言えることです。一生懸命にすればするほど、その熱意や熱心が分裂の原因となります。それは、大切にすべきものを失っているからです。まずは、キリストに思いを向け、キリストに倣う者であることが大切なのです。自分を捨て、神様の御心を行うことで心も思いも一つになります。パウロは、フィリピの人々の喜びを、自らの喜びとしたのです。「主によってしっかり立ち」神様の愛による歩みを手放す事なく、同じ思いで神様の業をなせれば幸いです。 |
![]() |
![]() |
![]() ![]() |