日本基督教団 西神戸教会月報
2015年9月号

☆もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。(テモテの手紙一6章6~8節)

☆信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。(6章12節)

 わたしたちは、日々の生活に満足しているでしょうか。神様は、わたしたちに十分な物を与えてくださっています。そのことに気づいているかどうかで、歩みが変わってきます。近年、人間のエゴによって自然が破壊されて、その影響で、自然体系が変わってしまい、突然の大雨になることが多く、様々な所で災害が起こっています。それは、わたしたちの住む日本に限ったことではなく、世界的に大きな異常気象と思われる現象で災害が生じています。人は、神様から自然の豊かな実りの中で生きることを許されて、たくさんの物に恵まれているにも関わらず、必要以上のものを得ようと欲張って、得られず自らに苦しみをもたらしています。そんなわたしたちに、神様のみ心がみ言葉として与えられるのです。ここで示されているように"満ち足りることを知る者には、大きな利得の道"が与えられるのです。神様から与えられているもので満足し、感謝して過ごせることが、人を幸せにしてくれます。しかし残念ながら、人は、せっかくそんな素晴らしい、豊かに生きる道を与えられているのに、そこに至ることができずにいるのです。目の前に必要な物がちゃんと与えられているのに、それを受け入れられず、受け取れず、それだけでは満たされないで、自分のより好みによって、満足することができないでいるのです。そんな満たされないわたしたちに"食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。"と語られています。その理由として、"わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。"と語られます。どんなにたくさんのものが与えられていても、上手に使わなくては何にもならないのです。使わずに置いておいても無駄になるだけです。神様は、必要なものを与えて、他者と共に豊かに用いるようにしているのです。与えられた物を存分に使うこと、用いることが大切です。

 今、世界各地で災害や争いによって、多くの人が食べる物、着る物を得られずに、困難な生活を強いられ過ごしています。そして日々、飢えや渇きや争いによって、大切な命が奪われている現実があります。そんな中で、わたしたちは、たくさんの物が与えられ、豊かな命が与えられ、生かされているにも関わらず、それ以上の物を求め過ぎて、多くの物を無駄にしてしまっています。この矛盾に満ちた世界の姿を知り、今、生かされていること、与えられていることに感謝し、他者の命に心寄せられる者となることが求められているのではないでしょうか。そして、与えられた物を無駄にする事なく、分かち合うことにより、すべての人が豊かに満たされるのです。

 この世を生きるのに、必要最低限の物が与えられていれば、十分です。しかし、誰かが欲張り、人の物を搾取し、人の分まで横取りし、自分の物だけを増やそうとする時、奪われる人、失う場所が生じてくるのです。その苦しみを負わされる場所は、最も弱い所となります。だから、イエスは、苦しみと悲しみを負う人にこそ救いの業をなし続けてくださったのです。
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