日本基督教団 西神戸教会月報
2016年02月号

☆あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。 光の子として歩みなさい。一光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるの です。一一何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。         (エフェソの信徒への手紙5章8~10節)

☆愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。 ]今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。  
 (エフェソの信徒への手紙5章15~17節)

 今、わたしたちは受難節(レント)の時を歩み始めました。 神様が自らの大切な独り子を犠牲にしてまでも、わたしたちに与えてくださった命の営みを、大切に受け止めて歩む時にできれば幸いです。イエスの十字架への歩みに心を向けて、その苦しみ、悲しみ、痛みを知り、人がどんなに神様から愛されて、今を生かされているかを心に刻み、イースター(復活祭〉までの日々を大切に歩めるようにと祈ります。

 さて、ここで示されている聖書は、エフェソの信徒に対して、パウロが書き送った手紙とされているものではありますが、今を生きるわたしたちに必要なことが御言葉として与えられています。まずわたしたちが、様々な出来事を通して、神様と主イエスとに出会うことにより、愛と恵みに満たされ豊かにされてきたかを思い起こすことから始めましょう。わたしたちは、信仰生活をしていくうちに、いつの間にかその豊かさから離れてしまい、神様への感謝と生きる喜びが薄れてしまい、自分勝手な信仰生活を送ってしまっているのではないでしょうか。せっかく多くのものを与えられ、恵みに満たされているのに、飢え渇き、嘆き苦しみの中を歩んでいることがあるのです。何故でしょう。人が何を求め、何を望んでいるのかが大きな鍵となります。神様は、主イエスを世に遣わし、その歩みの中で、人を愛し、許し、救い、助けを与えてくださる方であること示してくださいました。その最大の愛の業の現れが、十字架と復活の出来事です。今、レントの時を大切に、与えられた日々を歩みましょう。

 聖書は、エフェソの信徒に対して、せっかく神様の救いによって歩み出したのに、世の価値観やむなしい言葉に惑わされ、翻弄されている姿に、何を求めて、何を大切に歩めばよいかを語るのです。この世の様々な誘惑に勝利することが示されるのです。神様から与えられた恵みの数々を思い起こし、今、神様から与えられた光の世界から離れる事なく、"光の子として歩みなさい"と語られます。光とは、神様が天地創造に際して、まず世に与えてくださったものであり、この世にとって無くてはならないものです。それは、人の命と歩みにおいても同じです。神様は、互いに愛し合い、助け合い、補い合う存在として、この世に人を創造されました。しかし、人が神様から与えられた知恵と力の用い方を間違い、神様の思いとは異なる歩みをなし、神様の与えてくださった光の世界を闇の世界へと変えてしまうのです。神様は、人がより良く、心地よく生きる道として、暗闇を照らす光をくださっています。人は、その光に照らされ、すべてを明らかにされ、ありのままの存在として、安らかに生きることができるのです。聖書は"実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろそれを明るみに出しなさい。"と語ります。闇の世界でなく、光の世界に生きましょう。

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