日本基督教団 西神戸教会月報
2016年04月号
☆食事が終わると、イエスはシモン・ベトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ベトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。(ヨハネによる福音書21章15節) ☆このように話してから、ベトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。(21章19節) ☆イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。(21章25節) わたしたちは、イースター(復活日)礼拝を終えて、悲しみに喜びを、暗闇に光を、絶望に希望を神様から与えられて、嬉しい春の歩みを始めています。今、この時に、春の訪れと共に、寒い冬を越え、暖かい光を浴びて躍動する命に出会うことができます。園庭に植えられていたチューリップの球根は、秘められていた命をここぞとばかりに表しています。咲き誇る花を見ていると、みんなが光(太陽)の方向に向かって、色とりどり、大小、様々な花を、それぞれが力いっぱい咲かせている姿に気づかされます。その美しさにわたしたちは心癒されるのです。しかし、残念なことに、その美しさに気づけない人もいるのです。 わたしたちが神様によって愛され、恵みに満たされていることを、いろんなことの中で知ることの出来る人は幸いなのです。イエスと共に歩んだ弟子たちにもいろんな人がいました。その異なった一人ひとりと、主イエスは寄り添い、忍耐強く、愛し、赦し、慰め、力を与えてくださったのです。そのことを復活の主の出会いの中で教えられます。 ここで登場するペトロは、イエスが捕らわれた時、イエスのことを知らないと三度言ってしまった弟子です。その弟子に対して、復活の主は、同じ数の三度「わたしを愛するか」と問われ、「わたしの羊を飼いなさい」と命じられました。ペトロは、三度も聞かれて悲しくなったと記されていますが、これは、イエスを「知らない」と見捨てて逃げてしまった事を赦すための問いでもあったのです。イエスは、この問いの後で、裏切った弟子に対して、「わたしに従いなさい」と再び共に歩む道を開いてくださったのです。イエスの愛に満ちた姿を知らされます。復活のイエスは、イエスの十字架の出来事で恐れに支配されていた弟子たちに「あなたがたに平和があるように」と姿を現してくださいました。しかし、その時その場に居なくて、心頑なになり信じることが出来ずにいたトマスに対しても、復活の主は姿を現してくださり、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。またあなたの手を伸ばして、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と語りかけられたのです。弟子たちでさえ、神の御心や主イエスの歩みを受け止めることはなかなか出来ませんでした。今のわたしたちが、復活の出来事を簡単に信じることが出来ないのは、当たり前のことなのです。だからこそ、聖書は、重ね重ね、神様のご計画と思いと願いと祈りを記しているのです。しかし、いくら聖書でも、イエスの歩み全てを書き記すことは出来ないのです。 疑い深いわたしたちではありますが、今ある聖書のみ言葉だけで、全てを知らなくても、信じることの出来る信仰へと向かいたいものです。 |
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