日本基督教団 西神戸教会月報
2016年05月号
☆イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒 たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわた しから閏いた、父の約求されたものを待ちなさい。 (使徒言行録1章3・4節) ☆五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すろと、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。(2章1~4節) ☆人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と亙いに言った。 (2章12節) わたしたちは、今、日々の生活の中で、生かされている・生きているという実感を味わって過ごしているでしょうか。神様は、人に命を与え、人を愛し、より良く生きる道を備えてくださっています。しかし、残念なことに、人が自分の思いを優先させてしまうと、なかなかそのことが受け止められないのです。様々なものが与えられていても、気づくことが少なく、満足も出来ず、自分の秤で喜びを遠ざけ、感謝することもできなくなってしまうのです。もったいないことです。わたしたちに日々与えられている自然の営みの中でも、神様が与えてくださっている様々な豊かな命の営みに出会います。自然界は、神様が与えてくださった恵みを生かして、命をつなぎ続けています。それを奪い、蔑ろにしているのは、人間の傲慢な支配欲なのです。いつの間にか人間が、全てを治めているかのように思い上がり、神様の思いを無視して勝手な行動を取り、自然を破壊し続けてきました。そして、その結果、人間自らが苦しむことになったのです。人が、神様の思いと御心を知り、歩むことがどれだけ大切であるかを知らされます。 弟子たちは、イエスの十字架に際して、頼りにしてきた人を失い、悲しみと恐れに支配されてしまいました。もし、以前にイエスが語ってくださっていたことを、理解していれば、十字架の意味も分かり、この悲しみも受け入れられたのかも知れません。しかし、イエスが語っていたことを、彼らは理解できませんでした。そして、今、目の前で起こっている出来事に、困惑し、イエスを見捨てて、その場から逃げてしまったのです。そんな弱い、欠けの多い弟子たちが、神様の御心を知り、神様の御計画の中を歩むには、聖霊の働きが必要だったのです。そのために、イエスの十字架と復活と昇天の出来事がありました。聖霊降臨は、今までいつも共にいてくださったイエスに変わって、目に見えない聖霊が神様からの贈り物として与えられたのです。聖霊受けた弟子たちは、不思議なことに他の国の言葉で語り出したのです。それは、彼らの力を遥かに越えたものでした。周りの者をも驚かすものでした。弟子たちが、神から与えられた聖霊の賜物を用いていくことで、今の教会が誕生したのです。 わたしたちは、聖霊を受けることによって、神様の御心と御計画を受け入れ、感謝し、歩み出すことができます。見えない神様の力が、わたしたちを希望と喜びへと導きます。神様を信じ、主イエスに従い、聖霊を受けることで、わたしたちの思いや願いを越えた神様の豊かな世界が与えられるのです。 |
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