日本基督教団 西神戸教会月報
2016年06月号

☆事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らのカによるのではなく、神の賜物です。行いによるものではありません。それは、 だれも誇ることがないためです。なぜなら、わたしたちは神に造られた者であり、
しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。
       (エフェソの信徒への手紙2章8~10節)

☆実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を破棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平
和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十宇架によって敵意を滅ぼされました。    
             (エフェソの信徒への手紙2章14~16節)

 わたしたちは、日々の生活の中で、どれくらい、神様から与えられた恵みに感謝して歩んでいるでしょうか。 その感謝の思いが、信仰の姿として現れてくるのです。表面的でこの世的な恵みにだけ固守していては、すぐにその信仰は萎えてしまいます。 神様の選びに気づき、しっかりと神様と結び付き、イエス・キリストによってもたらされた愛と救いの出来事に感謝する者は、何によっても邪魔される事なく、信仰生活を全うすることができるのです。

 わたしたちの人生の、信仰の道案内をしてくれる大切なものとして、聖書が、神の言葉が、イエスの言葉と業が与えられています。神様は、人がそのことに気づくことをひたすら待ち続けていてくださっています。イエスと共に歩みつつも、イエスの言
葉を受け止められず、神様の思いを信じられずに歩んでいた弟子たちも、イエスの復活に出会い、神様からの聖霊の助けにより、自らの信仰の歩みへと踏み出すことができました。 人は、失敗や間違いを繰り返しつつも、神様の愛と恵みによって、新しく歩む機会を与えられ続けています。そのチャンスをつかんだ人は、神様より、イエスの愛と恵みにより、豊かな力を受け歩む者とされるのです。

 今のわたしたちの信仰の歩みは、本当に神様を信じているのでしょうか。どこかで疑ったり、神様の存在を甘く、簡単に考えてはいませんか。その信仰の姿が、日々のわたしたちの生活となり、教会での歩みとして現れます。教会での礼拝や祈りの姿勢に関して、奉仕や愛の業に関して、またそれぞれが困難の中での歩む姿勢の中で、隣人との関わりの中で現れてくるのです。何によっても揺らぐことのない信仰を得て歩みましょう。 もし、全ての人がその信仰に至れば、神様のもたらそうとされている平和が、きっと世に満ちることでしょう。全ての人が、異なる存在として、善い業を行うために召し出されており、様々な異なりを持ちつつも、キリストによって新しい人として造り上げられ、平和を実現するのです。人が神様によって、キリストによって、新しく造り上げられ、歩み出すことで、神様の思いが地に満ちます。 残念ながら、今の世は、核兵器廃絶とは言いつつも、みんな不安と恐れの中にあり、力による平和しか思いが及ばないのです。 核兵器を持たなくてもよい、人と人、国と国の関係造りが大切なのです。キリストによる平和が地に満ち、全ての人の心に平安がもたらされることを切に祈ります。  
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