日本基督教団 西神戸教会月報
2016年07月号
☆主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き. 「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。 (コリントの信徒への手紙一11章23~25章) ☆だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。主のからだのことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。 (11章28~29節) 暑い夏を迎えました。神様から与えられている暑さと上手に付き合いながら、より良い夏を過ごしましょう。昔と今とでは、夏の過ごし方が変わってしまっています。昔は、与えられている自然環境を用いて、涼しく過ごせる方法を考えていましたが、今は人間の知恵によって、自然を破壊して暑さを無理やり涼しさに変えてしまっています。地球全体が温暖化してしまった今、何とか涼しさを作らないと命に危機が及ぷところまできています。それが人間が作り出した負の連鎖であり、悲しい現実です。 さて、ここで示されている聖書は、聖餐式で引用している箇所です。毎月行われている聖餐式の意味を、わたしたちはしっかりと理解し、受け入れて参与をしているでしょうか。今一度、神様から与えられている大切な業を一つ一つ確認して、意味あるものとして歩んでいきたいと思います。ここで語られているように他人事ではなく、「自分をよく確かめたうえで」その業に関わっていくことが求められているのです。わたしたちの信仰は、主イエス・キリストの十字架と復活抜きには考えられないのてす。その十字架を思い起こし、記念して聖餐式が行われます。イエスが十字架で自らの命を捧げてくださったからこそ、今のわたしたちの命の営みがあります。その出来事に思いを寄せ、感謝して歩むことが大切なのです。神様の愛が人に対して惜しまず与えられていることを、イエスの十字架が指し示しているのです。わたしたちは、神様から与えられている愛と恵みに気づき、感謝の応答の生活をしているでしょうか。神様が、大切なひとり子をも惜しまず捧げてくださった愛を、しっかりと受け止めて歩むために、聖餐式は行われ続けます。わたしたちに与えられている命は、神様のみ心を知り、その意味の重さを感じて、感謝して、神様と人の為に用いて行くことに意味があるのです。せっかく、神様を信じる信仰を得ていても、自己中心的な生き方をしている者は、その本質が分かっていないのです。だから、イエスの語られることが聞き入れられず、神様が用意してくださっている恵みや幸いを得る事なく、立ち去って行くのです。イエスが、神様のみ心として語られていることは、"神を愛し、隣人を愛しなさい"と言うことであります。つまり、それは、わたしたちが与えられているものを神と人のために用いることなのです。 今、わたしたちの生かされている世界は、様々な悲しみに支配されています。特にテロや内紛(クーデター)等の争いという人の行為によって、貴い大切な命が奪われ続けています。人の思いが第一となる世界は、いつも大きな犠牲を伴うのです。神の思いである愛が地に満ち、平和がもたらされることを信じて歩み、祈り続けましょう。 |
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