日本基督教団 西神戸教会月報
2016年09月号
☆ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。 (エフェソの信徒への手紙ll章33節) ☆すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、 アーメン。 (エフェソの信徒への手紙ll章33節) 9月に入り、暑い夏も過ぎ、時折涼しさを感じることの出来る日々が与えられています。異常気象ではありますが、それでも秋の気配を感じることが出来ることを心より感謝致します。神様は、神様の与えてくださった世界を自分たちの都合で破壊し続けている愚かな人間に対して、神様の豊かな愛の業を行い、生きる機会(チャンス)を与えてくださっています。自然災害が起こるたびに、人は「何でこんなことが起こるのか、神様はいるのか」と嘆きますが、科学の進歩した今、その原因が人間にあることが明らかにされています。わたしたちは、神様から命が与えられ、生かされて歩んでいることをどれぐらい分かっているでしょうか。一つの命との出会いと別れを経験するたびに、そのことを痛感させられます。 西神戸教会において、9月第3主日は、召天者合同追悼記念礼拝になっており、この世での生涯を終えて、天国へ旅立たれた方々に思いを馳せつつ、神様からの出会いと交わりに感謝する時が与えられています。神様は、それぞれにとってかけがえのない人をこの世に生かし、一人ひとりに豊かな良き交わりのひと時を経験させてくださいました。その出来事が、自分の人生に良いにしても悪いにしても、影響を与え、ひとりの人の基礎を築いていくのです。どこのどんな人と出会い、交わり、共に生かされるのかは、とても大きなことです。召天者合同追悼記念礼拝は、神様の与えてくださった様々な人々の異なった人生に気づかされ、神様の偉大さを知らされる時となります。教会の礼拝に集うことで、教会での信仰による営みを通して、今まで神様の存在を知らず、気づかず、歩んできた人が、神様に触れる機会となります。人の人生の背後に働く、神様の存在を知り、信じる者となったら、パウロが語る「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。」との意味を実感することができるのです。命の根拠を神様におくか否かでは、歩みは大きく異なってくるのです。わたしたちの思いや願いや知識を越えた神様の存在を知り、神様から与えられる命の営みを謙虚に受け止めて歩むことが大切なのです。 わが家では、9月に新しい命との出会いの時が与えられました。わたしたちは、大きな恵みに満たされました。一つの命がこの世に誕生するのは、大きな出来事です。その日は突然訪れます。特別な事情がある場合以外は、生まれる日を決めることはできません。息子夫婦の場合も9月13日が出産予定日でしたが、一日早く12日に誕生しました。この初孫が与えられた日は、車椅子で生活している娘千咲希の誕生日でもありました。この誕生に至るまでの日々、その日を待ちわびつつ祈り続けてきました。赤ちゃんの誕生は、待ちに待っていた命がやっとこの世に姿を見せてくれて、周りの人々に喜びを届けてくれました。そんな素晴らしい出来事を神様は、それぞれの人生の始めに与えてくださっているのです。「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。」 |
![]() |
![]() |
![]() ![]() |