日本基督教団 西神戸教会月報
2016年11月号

☆わたしたちが先祖の神、主に助けを求めると、主はわたしたちの声を聞き、わたしたちの受けた苦しみと労苦と虐げを御覧になり、力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもってわたしたちをエジプトから導き出し、この所に導き入れて乳と蜜の流れるこの土地を与えられました。わたしは、主が与えられた地の実りの初物を、今ここに持って参りました。   
(申命記26章7~10節)

☆あなたはそれから、あなたの神、主の前にそれを供え、あなたの神、主の前にひれ伏し、あなたの神、主があなたとあなたの家族に与えたすべての賜物を、レビ人およびあなたの中に住んでいる寄留者と共に喜び祝いなさい。  
(10~11節)

 今わたしたちは、実りの秋を迎えています。しかし、今年は様々な理由で野菜の値段が高騰しています。今まで当たり前のように食卓に並んでいた食べ物が、簡単には手に入らなくなりました。そこで気づかされることは、今まで当然のように与えられてきたものは、恵みの産物です。あまりにも恵まれた生活に慣れてしまい、感謝することを忘れてはいなかったでしょうか。今わたしたちは、命が与えられ、食べる物、着る物、住む家、愛する家族が与えられています。何と幸せで感謝すべきことに満たされていることでしょう。神様から与えられている恵みに気づき、受け止め、感謝して、喜びに満たされて歩めれば幸いです。

 ここで与えられている聖書は、今の時期に大切なメッセージが込められています。かってイスラエルの民は、神様の導きによって、苦役の生活を強いられていたエジプトより救い出されました。それが、彼らの信仰の大きな源となりました。彼らは、自分たちでは取り除くことの出来ない苦しみからの救いを神様に訴えました。その求めに神様は応えてくださり、彼らを出エジプトに導いてくださり、さらには、定住する土地をも与えてくださったのです。その神様の業に感謝して、民は "主が与えられた地の実りの初物を"神に捧げて礼拝したのです。しかも、そこで共に過ごしている全ての人と共に、分け隔てなく喜び祝いました。わたしたちに与えられている物は、わたしたちだけの物でなく、そこにいるみんなで、感謝し喜び祝い、分かち合うべき大切な物であることに気づかされまず。

 今、わたしたちは収穫感謝礼拝の日を迎えています。この日の由来は、イギリス国教会の圧迫に抗して信仰の自由を求めて、ピューリタン(清教徒〉の人々が、メイフラワー号で新大陸アメリカにたどり着き、開拓地での困難の中、原住民のインディアンに助けられ、初めて秋の実りを得ることが出来た時、信仰の自由と収穫の恵みを神様に感謝し礼拝を捧げ、食事会をしたことによります。神様は、わたしたちが生きるために沢山の恵みを与えてくださっています。その一つとして、秋の実りがあります。見える形として、お米や野菜や果物など様々な沢山の地の産物があります。自然の営みの中で、神様が与えてくださる素晴らしい出来事に心を向けて、感謝し、神様の思いに従って、大切に分かち合うことで、みんなで喜び祝う事ができるのです。神様が与えてくださっているものを、誰かが独占したり、欲張ったりする時に、大切な神様の思いは世において果たされなくなります。せめて、教会に集められている群れだけでも、豊かな実りを神様に感謝し、共に喜び、分かち合い、味わいましょう。
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