☆イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。(マタイによる福音書4章19節)
☆この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。(22節)
☆イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。(23節)
☆こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った。(25節)
神様から新たな1年、2017年が与えられました。どんな1年になるのでしょうか。わたしたちの知り得る事ではありませんが、どんな中にあっても神様を信じて、希望と力を受けて歩んで行ければ幸いです。
ここで与えられている聖書の箇所は、イエスが神様の働きをするために必要とする人を弟子として選んだ場面と、イエスの言葉と業を見て、イエスに従った人々のことが記されています。大袈裟な言い方をすると、いずれの人も、この先自らがどうなるかは分かりませんが、ある意味では自分の人生をかけてイエスに従ったのです。特に4人の漁師たちは、イエスに語りかけられるまで、日常生活の一つである漁師の仕事をしていました。最初の二人の場合は、湖で網を打っているのを見て、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と語りかけられました。その声に二人はうたがう事なく、すぐに従ったのです。また、あとの二人には、舟の中で網の手入れをしているのを見て、声をかけられました。すると彼らもすぐに、その場に仕事道具の舟と大切な家族であるの父親を残して従ったのです。その場でわたしたちがイエスから声をかけられていたらどうでしょうか。すぐに従ったのでしょうか。彼らにも色々な思いや生活の状況があったと思います。しかし、それを知った上で、イエスが声を掛けてくださったからこそ、すぐに従うことが出来たのではないでしょうか。わたしたちは、従うかどうかは、わたしたちの側の問題として、すぐに応えられずにいることはないでしょうか。あるいは、従ったつもりでいても、大切なものを残しては従っていないのではないでしょうか。イエスに従った4人の漁師は、自らの仕事も家族も残して、神様の働きへと歩み出したのです。そのことによって、イエスの働きは、さらに豊かなものとなって行ったのです。
続く聖書の箇所では、イエスの力ある言葉と、ありとあらゆる病気や患いをいやされている働きによって、多くの人々がイエスの所に集まって来たことが記されています。そして、あらゆる病気の人がイエスの評判を聞きつけて連れてこられましたが、それらすべての人の苦しみを見て、イエスはいやされました。さらに、その出来事を通して、各地から集まって来た大勢の群衆がイエスに従ったと記されています。
この二つの出来事を見ても、従い方には色々あります。しかし、その根本がしっかりしていないと、従ってもすぐに離れてしまいます。それは、神様をイエスを信じているのではなく、自分の都合に応じて従っているだけだからです。それはよくあることで、一時的に熱心に一生懸命奉仕していても、この世のちょっとしたつまずきで離れてしまうのです。さて、わたしたちの信仰はどうでしょうか?
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