日本基督教団 西神戸教会月報
2017年3月号
☆シモン・ベトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。 (マタイによる福音書16章16節〉 ☆シモン・パルヨナ、あなたは幸いだ、あなたにこのことを現したのは、人問ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはベトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。(17~19節) ☆イエスは振り向いてベトロに言われた。「サタン、引き下がれ、あなたはわたしの邪魔をずる者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」(23節) 今、わたしたちは受難節の日々を歩んでいます。わたしたちを愛し、ゆたかな恵みを与え続けてくださっている神様を思う時が与えられています。神様は、わたしたちの取り去ることの出来ない罪の現実の中で、自らの大切な一人子を十字架に付けることで犠牲の捧げ物とし、罪を赦してくださいました。神様に背を向け歩む者を愛してくださる神様のみ心が現されたのです。その十字架への道は、神の子である主イエスでも簡単な歩みではありませんでした。その現実は、覚悟してはいてもイエスさえ受け入れ難く取り除いてほしいと願う程のものでした。わたしたちは、受難節の今、どれぐらいイエスの苦しみ・悲しみ・痛みに心を寄せているでしょうか。与えられている時を大切に神様の愛に応えつつ歩みましょう。残念ながら、弟子たちもイエスと共に歩みつつも、思いの至らぬことが多々ありました。その一つがここに記さているベトロの姿です。 ベトロは、自らの信仰を言い表すことで、イエスに認められました。しかも、イエスは、べトロの信仰が礎となり、教会が建てられると語り、天の国の鍵を授けるとまで言ってくださったのです。ところが、その信頼を裏切るような出来事が生じるのです。ペトロがイエスを「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白したことにより、イエスは自らの死と復活について語り出しました。ところが、イエスをメシアと認めたはずのベトロが、イエスの言動をいさめたのです。「主よとんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」とイエスの言葉を否定するのです。ベトロの信仰告白は何だったのでしょう。神の子と認め、メシアと告白しているにも関わらず、イエスの神の子としての歩みを否定するのです。そこには、ベトロの望むメシア像があり、この世の求める姿があったのです。この世の価値観に囚われて、神様が人の子に求めている姿を拒むのです。そんなベトロに対して、イエスは厳しく接します。何故なら、神様がイエスによって、この世にもたらそうとしている世界を邪魔するからです。ペトロに対して「サタン、引き下がれ。」と語り、「神のことを思わず、人間のことを思っている。」と語るのです。大切にすべきことを受け取れずにいるペトロに対して、イエスは「わたしについてきたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」と語り、続けて「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」と伝えるのです。この世に捕えられ、命に囚われ、大切なことを |
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