日本基督教団 西神戸教会月報
2017年5月号
☆そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣ぺ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。(ルカによる福音書24章45~48節) ☆そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。(51節) 新年度が始まり、ひと月が過ぎて、ゴールデンウィークも終え、緊張していた歩みが、少し疲れを覚える時期を迎えています。心も体もバランスよく過ごすのは、とても難しい事だと思います。そんな中で、時は過ぎて行きます。それを支えてくれるものとして、わたしたちには信仰が与えられています。神様からこの世を"生きる"という大切な役目を与えられているものとして、それぞれの与えられている事に心を向けつつ、神様からの豊かな助けを受けて、歩みたいと思います。 弟子たちは、イエスが十字架につけられた時、イエスを見捨てて逃げ去りました。彼らは、現実にイエスが捕らえられ、裁かれようとしている現実の中、自分たちに迫り来る危機を前に恐怖を覚え、その場より立ち去りました。そんな弟子たちに対して、イエスは復活の体を現し、復活の出来事を示してくださいました。このことにより、弟子たちは再び、神様に捕らえられ、歩み始めることが出来ました。ところが、復活のイエスは、彼らと共にいてくださるのではなく、天に上げられ、その後は聖霊という目には見えない神様の助けを天から与えると約束されるのです。弟子たちは、幾度となく、イエスの語られていることを信じることが出来ず、離れてしまいましたが、イエスの十字架と復活の出来事を経験したことにより、イエスの言葉を信じるものとされたのです。聖書は、弟子たちに対して「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」とイエスが語られたことを受けて、天に上げられるイエスを見た弟子たちが「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」と伝えています。ここから、弟子たちは新たな歩みへと進んで行った様子が分かります。 この出来事を受け止めるために大切なこととして、"イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて言われた。" と記されています。わたしたちは、ちゃんと礼拝において"心の目を開いて" 聖書の御言葉を聞いているでしょうか。わたしたちの与えられている現実に塞がれ、現実にのみ捕らわれて、限界を自分で決めて、神のなされることを制限していることはないでしょうか。それでは、神様がわたしたちに与えてくださっている愛と恵みの業を受け取り損ねてしまうのです。わたしたちが恐れを抱き、歩めない中でも、困難の中でも、悲しみの中でも、神様は共にいてくださり、わたしたちを支え、導き、助け、道を拓いてくださいます。そのことを信じることの出来る時、わたしたちの中で荒れ狂う嵐は治まり、凪となります。主イエスは、語られました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と。神様に思いを向けて、安らぎを得て歩みましょう。 |
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