日本基督教団 西神戸教会月報
2017年7月号
☆そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。(テモテへの手紙一2章1節) ☆神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです、(4~6節) 地域によって、状況は異なりますが、わたしたちの住む神戸では、梅雨らしい時期を過ごすことなく、今年も暑い夏がやってきました。年々、暑さは増すばかりです。その原因は、わたしたち人間が驕り高ぶり、倣慢になり、自然界への畏敬の念と感謝の心に欠けてしまい、自分たち人間にとってのみ、便利で快適な生活を追い求めてきたからです。その結果として現れたことが、世界的規模での自然破壊ということです。自然界の呻きが、嘆きが、怒りが、今人間に襲いかかってきているように思えます。今、わたしたちの周辺で起こっている事が教えてくれています。それは、暑さだけではなく、各地に甚大な被害を及ぼしている地震や突然、各地を襲う集中豪雨や今までにないほどの非常に大きな台風等として現れています。今年もすでに台風が過ぎた後に、梅雨前線の活動が活発になり、福岡・大分・熊本では河川の氾濫等、大きな水害、土砂災害が起こっています。力を誇り、奢り高ぶり歩み続けた人間は、今、自然界の猛威の前で、対抗することもできず、自然の大きな力の前で無力であることを思い知らされています。 わたしたちは、自然を破壊し続けてきたことを深く反省し、自然の怒り、襲い来る姿の前で、ただ悲しみにくれるしかありません。悲しみのただ中、様々な困難な現実の中で、人の成すべきことやできることは、保たれた大切な命に心を寄せ、人と人とが互いに助け合い、支え合い、補い合いつつ歩むことです。地が揺れ動き、地が水に覆われる中でも、保たれた命の貴さを思います。瓦礫の中から神様が人としての再生を求められているのではないでしょうか。つまりそれは、天地創造にて神様が人を神に似せた者として造り、全く異なる存在が互いに助け合う"ふさわしい助け手"とし造られたという原点に立ち返り、愛し合う事が示されているのではないでしょうか。ここに示されている聖書も愛の原点によって、人々に勧められている言葉です。神様は、人が神様との関係を回復するために、イエス・キリストを世に遣わしてくださり、愛を与えてくださいました。それこそが、人間を救う道だったのです。イエスは、その道を切り拓くために、命を捧げてくださいました。その出来事を無駄にすることのないように、神様は人に聖霊を与えてくださり、神様のみ心を伝えてくだっているのです。わしたちは、弱い存在であり、欠け多く、間違い(罪)を重ねつつ歩むものです。だからこそ、ここで「まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべの人々のためにささげなさい。」と語ります。自分の事に支配されるのではなく、すべての人々のために歩むことの必要性が語られています。それぞれが自らの力や賜を奢る事なく、謙虚に受け止め、神様のみ心を忠実に歩むことで、必ず "すべての人々のために" 良き道が拓かれることでしょう。 |
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